渋谷の代々木公園にも福島ナンバーの車が集まっているというニュースがありました。福島第一原子力発電所の事故で退避勧告を受けて避難してきた人達なのだそうです。 まるで流浪の民みたいですが、政府はただ「避難しろ」と言うだけであとはかまってられないというわけなのでしょうか。数万単位の住民がこうやって行き場を失い途方に暮れているのです。海外メディアではないですが、これで略奪や暴動がおきないのが不思議なくらいです。
今日のテレビで、自宅が津波の被害にあって父母と連絡がとれないにもかかわらず、老人ホームで入所者の老人や避難してきた人達を明るく献身的に世話をしている管理栄養士の女性が紹介されていましたが、被災地にはこんな天使のような人もいるのです。
内田樹氏は、朝日新聞のインタビューで、阪神大震災のとき、住んでいたマンションが半壊して、小学校6年の娘と一緒に近くの小学校の体育館で3週間の避難生活を送った経験から、つぎのように言ってました。
同じ苦難の中にあっても、「人の情」をかけてくれる人がいるのです。自分もできればそういう人間でありたいと思いますが、いざとなったら自分のことだけで手いっぱいで、そんな余裕はないかもしれません。でも、そうやって情けをかけてくれる人に心から頭をさげることくらいはできそうです。せめてそのくらいの人間ではありたいと思います。
今日のテレビで、自宅が津波の被害にあって父母と連絡がとれないにもかかわらず、老人ホームで入所者の老人や避難してきた人達を明るく献身的に世話をしている管理栄養士の女性が紹介されていましたが、被災地にはこんな天使のような人もいるのです。
内田樹氏は、朝日新聞のインタビューで、阪神大震災のとき、住んでいたマンションが半壊して、小学校6年の娘と一緒に近くの小学校の体育館で3週間の避難生活を送った経験から、つぎのように言ってました。
被災経験から言えることは、被災者は「失ったもの」を数えないこと。命あってのものだねだと、「手元に残ったもの」を数え上げてみる。希望を持つ。希望を持っている人間はしのげる。そして最後は人情にすがる。16年前、人の情が身にしみた。
(朝日新聞 asahi.com 2011年3月17日1時20分配信)
同じ苦難の中にあっても、「人の情」をかけてくれる人がいるのです。自分もできればそういう人間でありたいと思いますが、いざとなったら自分のことだけで手いっぱいで、そんな余裕はないかもしれません。でも、そうやって情けをかけてくれる人に心から頭をさげることくらいはできそうです。せめてそのくらいの人間ではありたいと思います。