

関東地方はここ数日、冬に逆戻りしたかのような寒い天気がつづいています。気温はそんなに低くないものの、風が強くて気温以上に冷たく感じられます。しばらく小康状態だった花粉症も再び息を吹き返したみたいで、今度は鼻水が止まりません。このブログでも書きましたが、シーズン当初は目の痒みに悩ませられ、それがいったん治まったかと思ったら、今度は鼻水です。
今日は始終鼻をかみながら、久しぶりに山下公園から赤煉瓦倉庫、みなとみらいまで散歩しました。節電の影響で、駅では停止しているエスカレーターも多いので、階段の上り下りが結構しんどくで、それだけでも散歩をしなくてもいいくらい効果大です。そういえば、最近「ちい散歩」ごっこの中高年の姿がめっきり少なくなったような気がします。電車も間引き運転をしているので、出かけるのがおっくうになったのでしょうか。
みなとみらいもいつもの休日に比べて人出が少ない気がしました。ただ、若者向けのショップが多いワールドポーターズは春休みになった子どもたちで賑わっていました。
福島原発の放射能汚染と計画停電の影響で、地域経済がこれから深刻度を増していくのは間違いないでしょう。まだはじまって2週間しか経ってないのです。それでも既に売上げが30%落ちたとか、中には半分だとか3分の1だといった話もあるくらいです。でも、計画停電はこれから夏も冬も行われると言われています。個人商店にとっては死刑宣告にも等しい話です。
静かに進行するパニック。この事態は、メルトダウンしてコントロールできなくなった原子炉と同じで、国家秩序の溶解へとつながっていく懸念さえあります。今のパニックも、既に国家が国民の消費行動をコントロールできなくなった証拠でしょう。節電ムードや「がんばろう!ニッポン」キャンペーンで、一見国家的な紐帯は強くなっているような印象を受けますが、実際はまったく逆のように思います。私のまわりでも、政府や東電が発表する「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」情報について、額面通りに受け止めている人間なんてほとんどいません。誰も信じてないのです。
少なくとも、東浩紀が言うように、「日本人はいま、めずらしく、日本人であることを誇りに感じ始めている。自分たちの国家と政府を支えたいと感じている。」(「For a change, Proud to be Japanese : original version」)とはとても思えません。
震災前の日本は、二〇年近く続く停滞に疲れ果て、未来の衰退に怯えるだけの臆病な国になっていた。国民は国家になにも期待しなくなり、世代間の相互扶助や地域共同体への信頼も崩れ始めていた。
けれども、もし日本人がこれから、せめてこの災害の経験を活かして、新たな信頼で結ばれた社会をもういちど構築できるとするのならば、震災で失われた人命、土地、そして経済的な損失がもはや埋め合わせようがないのだとしても、日本社会には新たな可能性が見えてくるだろう。もちろん現実には日本人のほとんどは、状況が落ち着けば、またあっけなく元の優柔不断な人々に戻ってしまうにちがいない。しかしたとえそれでも、長いシニシズムのなかで麻痺していた自分たちのなかにもじつはそのような公共的で愛国的で人格が存在していたのだという、その発見の経験だけは決して消えることがないはずだ。
(「For a change, Proud to be Japanese : original version」)
東浩紀の渦状言論 はてな避難版 2011年3月22日
そうでしょうか。もちろん、東北地方のきびしい気候風土のなかで培われてきた相互扶助の精神は、避難生活の中でも生きているでしょう。しかし、この震災とそれにつづく福島第一原発の事故によって、国民に植えつけられたトラウマは、国家(秩序)への不信のそれでしかありません。
今、福島第一原発周辺での高濃度の放射性物質の存在がつぎつぎとあきらかになってますが、それは放射性物質とともに、”真実の情報”も原子炉格納容器から漏れ出てきたと言えなくもなく、その衝撃度はこのような能天気な回帰主義も吹っ飛ばすくらい大きなものがあるはずです。
この”危機”が今後どのような方向に向かうのか、まったく見当もつきませんが、やがて新しい秩序が築かれるとしても、それは東浩紀が言うような回帰的な場所ではなく、むしろ国家と距離をおいた(国家的紐帯の緩い)、言うなれば”東浩紀的啓蒙”とは真逆の場所に築かれるような気がします。この大震災とそれにつづく福島第一原発の(実質的な)メルトダウンは、それくらい大きな価値転換の出来事だと言ってもいいのではないでしょうか。