昨日、Yahooニュースに次のような記事が出ていました。
胸が押しつぶされるようなニュースですね。こんなニュースを前にすると、ただ無力感を覚えるばかりで、返す言葉も見つかりません。
今朝、駅をおりると、駅前通りに大きな看板をかかげた選挙事務所ができていて、商店街の店主のような人たちが大勢集まっていました。今日は統一地方選(前半)の告示日なので、出陣式でも行われるのでしょうか。私はその光景を横目で見ながら、なんだか唾棄したくなるくらいの嫌悪感を覚えてなりませんでした。
今回の大震災で大きな価値転換が行われるのは、間違いないでしょう。しかし、この手の”古い政治”が変わるかといえば、きわめて悲観的です。しかも、こういう政治を支えているのは、商店街のおっさんやおばさんたちだけではなく、「現代思想」をけん引していた(と言われていた)若い知識人たちも同様です。大震災に対して、状況を剔抉する言葉をもたず、ただ「がんばれ!ニッポン」キャンペーンに随伴するしか能のない彼らを見ていると、痛ましささえ覚えてなりません。その行き着く先がお定まりの回帰主義なのは理の当然ですが、それは大震災を利用して、みずからの政治的延命のために「大連立」を目論む権力亡者たちと大差ないように思います。
政治家たちは、どう見ても、数万の犠牲者・数十万の被災者の存在を正面から受けとめようとしているようには思えません。もう既に彼らの頭の中は別の政治的思惑がうごめいているようです。震災があったら作業服姿になり、月が明けたら背広に変わった、あの閣僚たちのパフォーマンスがすべてを物語っているように思います。
今回の震災で(特に原発事故で)、知識人のあり様も含めて、なにがホンモノでなにがニセモノかがはっきりしてきたことだけはたしかな気がします。
「震災孤児」数百人か…厚労省、実態把握急ぐ」
東日本巨大地震で親を失った児童生徒は、1995年の阪神大震災の68人を大きく上回る見通しとなっている。
厚生労働省などによると、阪神大震災が早朝に発生したのに対し、平日の日中に発生した今回の地震では多くの児童生徒が下校前で、学校ぐるみで避難して助かった事例が多く、「震災孤児」は数百人単位にのぼるとみられる。
ただ、震災後も混乱の続く被災地の自治体からの聞き取りは難航しており、厚労省は、被災地以外の自治体から専門職員を募って現地に派遣し、実態把握を急いでいる。
阪神大震災では、親を失った児童生徒の大半が親類や知人に引き取られた。
(読売新聞 3月31日3時7分配信)
胸が押しつぶされるようなニュースですね。こんなニュースを前にすると、ただ無力感を覚えるばかりで、返す言葉も見つかりません。
今朝、駅をおりると、駅前通りに大きな看板をかかげた選挙事務所ができていて、商店街の店主のような人たちが大勢集まっていました。今日は統一地方選(前半)の告示日なので、出陣式でも行われるのでしょうか。私はその光景を横目で見ながら、なんだか唾棄したくなるくらいの嫌悪感を覚えてなりませんでした。
今回の大震災で大きな価値転換が行われるのは、間違いないでしょう。しかし、この手の”古い政治”が変わるかといえば、きわめて悲観的です。しかも、こういう政治を支えているのは、商店街のおっさんやおばさんたちだけではなく、「現代思想」をけん引していた(と言われていた)若い知識人たちも同様です。大震災に対して、状況を剔抉する言葉をもたず、ただ「がんばれ!ニッポン」キャンペーンに随伴するしか能のない彼らを見ていると、痛ましささえ覚えてなりません。その行き着く先がお定まりの回帰主義なのは理の当然ですが、それは大震災を利用して、みずからの政治的延命のために「大連立」を目論む権力亡者たちと大差ないように思います。
政治家たちは、どう見ても、数万の犠牲者・数十万の被災者の存在を正面から受けとめようとしているようには思えません。もう既に彼らの頭の中は別の政治的思惑がうごめいているようです。震災があったら作業服姿になり、月が明けたら背広に変わった、あの閣僚たちのパフォーマンスがすべてを物語っているように思います。
今回の震災で(特に原発事故で)、知識人のあり様も含めて、なにがホンモノでなにがニセモノかがはっきりしてきたことだけはたしかな気がします。