午後2時半すぎ、シャワーを浴びているときでした。突然、大きな揺れに見舞われたのです。浴室が左右にグラグラ揺れ、立っているのもままならないくらいでした。私はあわてて裸のまま浴室の外に出て、下着を身に付けました。しかし、だからといってどうすればいいのかわかりません。ただオロオロするばかりでした。そして、何度かの揺れのあと、やっと揺れがおさまりました。

風呂からあがると、すぐにテレビをつけました。テレビには「只今、関東から東北地方にかけてかなり大きな地震がありました」というテロップが流れていました。しかし、私は夕方知人と会う約束をしていたので、そのまま身支度をして出かけました。

駅前通りを駅に向かっていると、電気店の店頭のテレビの前に人が群がっているのが見えました。さらに駅の近くに行くと、駅から人があふれ、舗道を埋め尽くしているのが見えました。それでもまだ私はピンときませんでした。ただ漠然と、地震で電車がとまっているんだろうと思っただけです。ただ、このままでは待ち合わせの時間に遅れる可能性があるので、とりあえず知人に連絡しようと、携帯電話を取り出しました。ところが、携帯がまったくつながりません。

それで、私は、いったん自宅に戻ることにしました。東横線が動かないなら、新横浜まで歩いて、地下鉄で行けばいいやと思ったのです。

舗道を自宅の方に戻っていると、突然、リュックを背負った中年女性から声をかけられました。どうやら大倉山公園に梅をみに来た人のようです。途方に暮れた様子で、「横浜まで帰りたいんですが、どうすればいいでしょうか?」と言うのです。

「横浜って横浜駅ですか?」
「そうです。そこから相鉄線に乗りたいんです」
「うーん、そうなると新横浜駅まで歩いて、市営地下鉄で行くしかないですね」
「新横浜にはどう行けばいいんでしょうか?」
「え~と、新横浜はこの道をまっすぐ・・・」
と道順を教えようとしていたら、近くに立っていた男性が「地下鉄もとまってるよ」と言うのです。

「エッ、地下鉄もとまっているの?」
私は驚いてそう聞きかえしました。地下鉄もとまっていると、私も待ち合わせの場所に行けないのです。
「そうだよ。全部とまっているよ」「どうしようもないよ」
それを聞いた中年女性は「そんな・・・」と言ったきり絶句してしまいました。

私は、「これはやっかいなことになっているかも」と思いながら、急ぎ足で自宅に戻り、再びテレビをつけました。テレビでは固定カメラで撮った仙台かどこかのテレビ局内の「地震直後の様子」がくり返し放送されていました。でも、まだ詳細な被害は不明のようでした。

私は、自宅の固定電話で知人の勤務先の病院に電話をしました。電話口に出た受付の女の子もあわてている様子がうかがえました。知人のPHSに転送してもらったのですが、「手が離せないみたいで」出ないと言うのです。それで、今日の約束をキャンセルするよう伝言を頼んで電話を切りました。

それから私はずっとテレビの画面に釘付けでした。伝えられる被害状況は時間の経過とともに拡大するばかりでした。アナウンサーの声も切迫感を増していました。一方、交通がマヒした首都圏では、帰りの足を失った人々がターミナル駅にあふれ、唯一運行を再開した都営バスに長蛇の列を作っている様子が映し出されていました。公共施設に臨時の宿泊所が設けられることになったというニュースも流れていました。待ち合わせどころの話ではなかったのです。

そうするうちに、テレビは海沿いの街が一面赤い炎に包まれている空撮の画面に切りかわりました。炎の下から人々の阿鼻叫喚が聞こえるようで、まるで地獄絵をみているような光景でした。事態がとんでもない方向に進行していることだけはわかりました。それから私は、まんじりともせずに点けっ放しのテレビとともに朝を迎えたのでした。
2011.03.13 Sun l 震災・原発事故 l top ▲