福島第一原発の事故での海洋汚染に関連して、魚介物に対する風評被害も深刻化しているようです。これに対して、テレビのワイドショーのコメンテーターなどが「風評に惑わされずに魚を食べましょう」なんて言ってましたが、一連の経緯をみるにつけ、(漁業関係者にはお気の毒ですが)「食べろ」と言う方が無理があるように思います。

この問題について、ブロック紙の中國新聞が「福島第1原発の水放出 座視できない海の汚染」と題して、示唆に富んだ社説を書いていました。この社説が言うように、汚染水の放出という「禁し手」にまで追い込まれたのは、それだけ「事態の深刻さを物語」っているのでしょう。

 汚染水を海に放流すれば漁業への影響は極めて重大だ。(略)

 海の放射能汚染の広がりや食物連鎖による濃縮の実態は、十分に分かっていない。海水や魚介、プランクトンについて広域的な監視態勢を整えるべきだろう。

 フランスの放射線防護原子力安全研究所(IRSN)が公表した海洋汚染の予測によれば、必ずしも四方に拡散せず、沿岸から黒潮に沿うように移動するという。こうしたデータさえ日本政府が発表しないのは不可解極まりない。
(中國新聞 2011年4月6日付社説)


政府や原子力安全・保安院は、汚染水は海に入れば拡散され希釈されるから、「ただちに人体に影響を及ぼすものではない」、と相変わらず三百代言のようなセリフをくり返していますが、だったらどうして韓国やロシアなど周辺の国があんなに神経を尖らせるのか、その理由を聞きたいですね。

大気中の放射性物質の拡散予測も、国内向けには一度公表したきりその後の公表を拒んでいたため、専門家から批判の声があがっていましたが、昨日、やっと気象庁が重い腰をあげました。ところが、IAEA(国際原子力機関)に公表しているデータであるにもかかわらず、「必ずしも実態を表したものではない」なんて言うので、よけい不信感を招いてしまうのです。

専門家によれば、セシウム137(半減期30年)などの放射性物質は、スギ花粉の10分の1しかないとても小さい粒子なので、空中に吹き上げられ風に乗れば1000キロでも1500キロでも優に飛散するそうです。「そもそも人体に影響のない放射性物質なんてない」のですから、東京の住人も既に被爆していると考える方が自然でしょう。問題は被爆量で、これからどれだけ放射性物質の飛散がつづくかですね。そう考えれば、100キロとか200キロとかいった外国の駐日大使館による退避勧告も、決して「過剰反応」だとは言えないように思います。

首都圏の乳幼児を抱えた母親や出産をひかえた妊婦などが、関西など西の方に避難する気持もわからないでもありません。子どもの健康を考えれば、そうやって自衛するしかないのです。

ただ、その一方で(矛盾するようですが)、作家がいそしそと避難することに対しては、どうしても違和感を覚えざるをえません。ブログによれば、今は鎌倉に戻っているみたいですが、柳美里も一時大阪の知人宅に避難していたそうです。また、東浩紀も「日本人はいま、めずらしく、日本人であることを誇りに感じ始めている。自分たちの国家と政府を支えたいと感じている」なんて言いながら、自分はちゃっかり一家で伊豆に避難していたようで、ネットで散々叩かれていました。

柳美里は「子どもを危険に晒すわけにはいかない」と言ってましたが、(きつい言い方をすれば)作家には守るべきものなんてないはずです。むしろ、「この世の地獄」のような残酷な現実に身をおくことで、初めて人間存在の真実を掘りあてることもできるわけで、だから彼女も、小説のモデルとされる女性からプライバシーの侵害と名誉棄損で訴えられたのではないでしょうか。作家にはそういうリスクを負ってでも表現しなければならないものがあるはずです。あえて言えば、家族をさし措いてでも、放射能を浴びてでも、書かなければならないものがあるはずです。太宰治だって坂口安吾だって三島由紀夫だって中上健次だって、みんなそうやって「この世の地獄」をみてきたのです。要はその覚悟があるかどうかでしょう。
2011.04.06 Wed l 震災・原発事故 l top ▲