朝、横須賀線に乗っているとき、ふと思いついて東戸塚で下車して、隣の保土ヶ谷まで歩きました。最近、運動不足気味なので、このように突然、歩かなければという強迫観念のようなものにおそわれるのです。

残念ながら写真を撮りませんでしたので、証拠(!?)はないのですが、東口の駅前の道路を左に向かって坂道をのぼっていきました。まだ通勤時間帯でしたので、坂の上からは駅に向かう人たちが五月雨式に下ってきます。でも、そんな人の流れに逆らって坂をのぼっていく(やや若づくりの)おっさんに、目にとめる人間なんて誰もいません。みんな、気味が悪いくらい無表情なのでした。

マンションが立ち並ぶ通りをぬけると、境木地蔵尊という小さな祠が石段の上にありました。地蔵尊というからには、昔はこのあたりに墓所でもあったのかもしれません。そういえば、地蔵尊があるあたりはちょうど山の頂になっていて、あの世との境界としてはうってつけの場所のような気がします。

地蔵尊の前から道は急に細くなりました。それで、不安になり、犬の散歩をしていた女性に、「権田坂はどっちの方向ですか?」と尋ねました。

「権田坂の何丁目に行くのですか?」
「いえ、権田坂から国道1号線に出たいのです」
「ああ、だったら、この道をそのまま下って行けば1号線に出ますよ」

というわけで、片側に人がひとり通れるくらいの歩道が付いているだけの細い道路を下りはじめました。おそらく昔は険しい山道だったのでしょう。少し下ると、小学校の前にややひなびた感じの商店街があるのに気づきました。坂道の脇にまっすぐに伸びた路地の両側に個人商店が点々と並んでいて、地形でいえば山の中腹にあたるため、路地の先から風景が大きくひらけているのでした。山を削って宅地開発され、今に至るまでの”記憶の積層”がつまっているような商店街でした。横浜は都内ほど鉄道網が発達してないため、駅から遠い住宅街も多く、そういったところにこのような古い商店街がぽつんと残っているのです。

余談ですが、こうして横浜に暮らすほど、(決して貶めているつもりはありませんが)横浜というのは”地方都市”だなとしみじみ思います。街も人も”偉大なる田舎”なのです。だから、相鉄線沿線で出会った横浜生まれの生粋の「ハマッ子」の老人は、私が住んでいる東横線沿線の街を「東京」と言ったりするのです。彼らの感覚では、東横線や田園都市線は「東京」なのでしょう。一方で、「横浜は東京と同じ都会だ」と勘違いして、横浜から外に出ない若い「ハマッ子」をみると、なぜかすごく反感をおぼえて、おちょくりたくなるのです。そもそも横浜独自の文化なんてもうどこにも残ってない現在、「ハマッ子」という言葉自体も既に死語だと言えます。むしろ、”偉大なる田舎”ならそれはそれでいいじゃないかと思います。そういうところから新しい「横浜らしさ」が生まれるかもしれないのです。

「東京と横浜は同じだから、わざわざ東京まで行く必要もない」なんていうベタな地元志向は所詮、井の中の蛙だなと思います。東京はまったく別格で、横浜と比べようもありません。好きか嫌いかは別にして、東京というオバケのような大都会がもつあのハチャメチャな活力と魅力を素直に受けとめる感受性があるかどうかは、今の時代を生きる上で、「決定的」と言ってもいいくらい大事なことのように思います。いわゆる「郊外論」などもそうですが、東京というのは、それくらい(自分の人生を揺り動かすくらい)大きな存在なのです。

角に家電のコジマが建っている「権田坂上」の交差点で国道1号線に出ると、あとは保土ヶ谷駅まで一本道です。普段、横須賀線の車窓から眺めている見覚えのある風景が沿道につづきました。

保土ヶ谷駅に着いて、万歩計をみたら、7千歩ちょっとでした。時間にしてちょうど1時間でした。少し物足りない気がして、このまま横浜駅まで歩きたい心境でしたが、時間がなかったので、保土ヶ谷から再び横須賀線に乗りました。

>>保土ヶ谷から歩いた
2011.04.15 Fri l 横浜 l top ▲