ソフトバンクの孫正義社長が、太陽電池など環境エネルギーの普及を促進するための「自然エネルギー財団」、つまり、「脱原発」財団を設立するというニュースがありました。また、信金大手の城南信用金庫もホームページで、「原発に頼らない安心できる社会へ」と題したメッセージを掲載して、「脱原発」を表明したとして話題になりました。

原発の広告塔をつとめていた勝間和代氏も、つぎのような”転向宣言”をして、やはり話題になっています。

今回の福島第一原子力発電所の事故に関し、電力会社(中部電力)のCMに出演したものとして、また、電気事業連合会後援のラジオ番組に出演していたものとして、宣伝責任ある人間として、まずはみなさまの原子力に対する重大な不安への理解、および配慮が足らなかったことについて、そして、電力会社及び政府のエネルギー政策上のコンプライアンス課題を正しく認識できていなかったことについて、心からお詫びを申し上げます。
REAL-JAPAN・原発事故に関する宣伝責任へのお詫びと、東京電力及び国への公開提案の開示


機を見るに敏とか、いろんな意見もありますが、しかし、こうやって徐々に「脱原発」の流れが出てきているのは間違いないでしょう。ただその一方で、朝日新聞の世論調査では、原発容認派(増設・現状維持)がまだ56%もいるという意外な調査結果も出ています。国策として推進した原発の利権は巨大なので、このまますんなりと「脱原発」に向かうとはとても思えません。

おそらく「脱原発」は、電力の自由化(完全自由化)と軌を一にして、大きな課題となっていくのではないでしょうか。賠償問題でも、「電力の安定供給」という大義名分のもと、税金の投入と電気料金の値上げ(つまり、国民負担)は必至だといわれていますが、今のような地域独占がつづく限り、東電を潰すことはできないのです。そのために、「役人以上に役人的」なアンタッチャブルな会社ができてしまったのです。それが今回の事故の遠因になっているのは間違いありません。「電気が使えるのは誰のお陰か。東電の批判をするなら電気を使うな」という東電の元社員(?)のブログが炎上したそうですが、こういう感覚は案外多くの社員たちに共通のものかもしれません。それどころか、「現場はがんばっている」という美談も、東電のマスコミ工作によるものかもしれないのです。

原発をどうするかという問題が、今のような電気に依存した社会をどうするかという問題に行き着くのは当然ですね。単に代替エネルギーをどうするか、そのコストはどうなるか、などというレベルの問題ではないと思います。東電に勧められてオール電化にした家庭が、今回の計画停電でにっちもさっちもいかなくなったという話は、電気に頼った社会の脆弱性を象徴しているように思います。エコにしても、エコバックをもって買いだめに走る主婦たちの姿に示されたように、ただのお遊び(ファッション)だったことがはっきりしました。もう一度すべてをチャラにして、根本から考え直す必要があるのではないでしょうか。

一方、事故からひと月経って、ようやく原子力安全・保安院と東電が1~3号機の原子炉内の燃料棒が一部溶融していることを認めましたが、この重大なニュースに対してもマスコミの扱いはきわめて小さいものでした。福島第一原発の報道をみると、事態の収束に向けた「工程表」が発表されたこともあり、あたかも事態は収束に向かっているかのような印象さえあります。しかし、依然として放射性物質がタダ漏れして飛散していることは事実なのですから、放射能汚染はむしろ深刻化していると考えるべきでしょう。まだなんにも終わってないのです。
2011.04.20 Wed l 震災・原発事故 l top ▲