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今朝、鎌倉駅で下車して鶴岡八幡宮にお参りしました。若宮大路の沿道の店もまだ開いてない時間でしたが、風薫る季節にふさわしいさわやかな風がお社の間を吹き抜け、朝の参拝は清々しくていいもんだなと思いました。参拝を終えると、いつものように鎌倉街道をのぼって北鎌倉まで歩きました。

北鎌倉駅では、震災後いったん姿を消していた”ちい散歩ごっこ”の中高年たちが、横須賀線の電車から次々と降りてくるのでした。巣穴からはい出てくる季節外れの虫たちのように、彼らも再び蠢きはじめたようです。

今日、このブログはいつもよりアクセス数が伸びていました。昨夜のNHKスペシャル「虐待カウンセリング~作家 柳美里・500日の記録~」の放送に伴い、昨年書いた記事の「ファミリー・シークレット」にアクセスする方が多いからでしょう。ネットがどうだこうだ言っても、やはりテレビの影響は大きいのです。ネットの掲示板などをみても、「ネットが現実を動かす」なんて言いながら、ネタ元は全てテレビや新聞の記事なのです。「ネットが現実を動かす」なんて百年早いと言わねばなりません。

それにしても、昨夜のNHKスペシャルは期待外れでした。実際に『ファミリー・シークレット』を読まれた方ならわかると思いますが、カウンセリングの取り上げ方があまりにも平板で薄っぺらでした。テレビの限界なのか、あるいはNHKスペシャルの力量の問題なのか、あれじゃ興ざめせざるをえません。

『ファミリー・シークレット』が発売されたのが去年の5月ですが、昨夜の番組では今年の4月まで話がつづいていました。もちろん、カウンセリングは今もずっとつづいているのかもしれませんが、ただ話の流れとしては、どうも同じことをくり返しているような気がしないでもないのです。

昔の作家は、市民社会の公序良俗や市民的価値意識の埒外にみずからを置くことで、人間存在の真実にせまろうとしました。もちろん、そこには苦闘も苦悩もありました。そして、その姿勢がデカダンスであったりしたのです。

柳美里も「無頼派」だとかいわれていますが、最近は、市民社会の公序良俗や市民的価値意識と自分をどう折り合いをつけていくかということに「苦慮」しているようにしか見えません。その違いはあまりにも大きいのだと思います。

そう考えれば、昨夜のNHKスペシャルの薄っぺらさは、最近の柳美里の文学に対する辛辣な批評のように思えないこともないのです。


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2011.05.16 Mon l 本・文芸 l top ▲