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石原吉郎ではないけど、ふと海をみたいと思いました。それで、朝、横須賀線の反対側の電車に乗って、横須賀に行きました。

私も昔、横須賀には仕事で来ていましたが、取引先はもっぱら京急の「横須賀中央」駅の方にありました。都内から来るのも京急の方が便利なので、横須賀線を利用したことは一度もありません。「横須賀」駅におりたのも今日が初めてでした。ちなみに、横須賀線の「横須賀」駅のすぐ近くには、京急の「汐入」駅があり、「横須賀中央」は隣の駅になります。

ただ、軍港として発展した横須賀の歴史上の中心は、やはり横須賀線の「横須賀」なのでしょう。「横須賀」駅をおりると、すぐ目の前は海です。ほかに目立つのは、ダイエーやシネコンが入ったショッピングビルのショッパーズプラザ横須賀がありますが、開店間際だったからなのか、あまり繁盛している雰囲気はなく、「オープン20周年」の垂れ幕がさみしげに風にゆれていました。それ以外は、ただ海があり、海に浮かんでいる軍艦があるだけです。

ところが、そんな海を朝からボーッと眺めている人たちが結構いるのでした(私もそのひとりでしたが)。ホントにボーッと眺めているだけです。それも、ほとんどが中高年の男性で、しかも、ひとりでやってきたような人たちばかりでした。横顔に憂いをたたえている・・・というほどカッコよくはないけれど、それでもどこか孤独の影をひきずっている感じがしないでもありません。やはり、みんな「海をみたい」と思ったのかもしれません。

高校生のとき、とある事件に連座して警察の取り調べを受けたことがありました(といって、窃盗や暴力や痴漢のような破廉恥な事件ではありません)。あのときも、ふと海をみたいと思いました。それで、取り調べを終え警察署を出ると、海の方に歩いて、テトラポットの上に座り、ずっと海を眺めていたました。おそらく4~5時間くらい眺めていたのではないかと思います。夕方になり、あたりが暗くなりはじめたので帰ったのですが、帰ったら家では親たちが大騒ぎしていました。取り調べが終わったあと、警察署から「今、帰りました」という連絡があったものの、いっこうに帰ってこないので、よからぬことでも考えたのではないかと心配したらしいのです。

海を眺めながら、学校をやめて東京にでも行こうかと思いました。なんだかこの街にいることも、この高校にいることも、ひどくめんどうくさい気がしました。やはり事件に連座して、一緒に学校を謹慎になったクラスメートがいたのですが、最近、彼が地元の銀行で役員になっているという話を聞きました。でも、私の場合は未だに当時の心情をどこかでひきずっているようなところがあります。それは性格なのですね。だから、今もまだふと海をみたいなんて思ったりするのでしょう。

シベリア抑留生活での思索をつづった『望郷と海』の冒頭で、石原吉郎はつぎのように書いていました。

海が見たい、と私は切実に思った。私には、わたるべき海があった。そして、その海の最初の渚と私を、三千キロにわたる草原(ステップ)と凍土(ツンドラ)がへだてていた。望郷の想いをその渚へ、私は限らざるをえなかった。空ともいえ、風ともいえるものは、そこで絶句するであろう。想念がたどりうるのは、かろうじてその際(きわ)までであった。海をわたるには、なによりも海を見なければならなかったのである。



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2011.06.09 Thu l 横浜 l top ▲