今日、テレビのニュースをみていたら、マイクを手にした菅首相が、「菅の顔だけはみたくないという人が国会のなかにはたくさんいるんですよ」「ほんとにみたくないのか」「そんなにみたくないのなら、この法案を早く通した方がいいよ」とハイテンションで演説している場面が出てきて、「菅総理、自虐ネタで続投に意欲」というようなテロップが流れていました。

私はたまたまUstreamで同じ場面(エネルギーシフト勉強会第二部)をみていたのですが、それは、超党派の「エネルギーシフト勉強会」(「再生可能エネルギー促進法成立!緊急集会」)で挨拶したあとの、孫正義ソフトバンク社長とのやりとりの一部なのです。しかし、テレビは集会の主旨である法案のことはいっさい伝えずに、ただ、そのジョークを飛ばした部分だけを切りとり、「政権に意欲をみせている」なんて言葉をかぶせてニュースに仕立てるのです。どうしてわざわざそんな報道をしなければならないのでしょうか。どう考えても、政治的な意図を汲んだ情報操作だとしか思えません。

それにしても、小林武史も「表現者としても超一級だ」と絶賛していましたが、この集会で講演した孫正義氏の弁舌のうまさには目を瞠るものがありました(エネルギーシフト勉強会第一部)。もともとは営業マンだったので、喋りが訓練されているということもあるでしょうが、孫氏の演説をみていると、そのユーモアのある喋り方は典型的な九州の人間のものだなと思いました。

宮台真司氏は、孫氏の講演について、「どのみち自然エネルギーに舵をきらなければ儲からない時代がきている」と述べていました。

化石燃料による発電も原子力による発電も、もう「枯れた技術」でしかなくコストは上がるばかりだ。自然を子々孫々に残さなければならないという倫理という観点からも、あるいはそういった経済合理性という観点からも、いづれにしても自然エネルギーにシフトせざるをえない時代になっている。そんなヨーロッパでは当たり前になっているさまざまな「合理性」をどうして私たちは知らないのか。それは、私たちが「統制と依存」の政治によって間違った「自明性」のなかに埋没させられているからだと。

国民の批判などどこ吹く風といわんばかりの菅退陣をめぐる政争をみていると、今の政治にとっては大震災や原発事故も、所詮は政争の具にすぎないのだということがよくわかります。そんな「統制と依存」の政治こそ当事者能力を失い、政治の役割を放棄しているのです。その意味では、二大政党制も政権交代も一度チャラにした方がいいように思いますね。もちろん、そんな政治に同伴して劣化する一方のマスコミも同様ですが。
2011.06.15 Wed l 震災・原発事故 l top ▲