
夕方、みなとみらいで知人と待ち合わせたのですが、知人が来るまでクイーンズスクエアの上から手すりに身体をもたせかけ、仕事を終え家路を急ぐ人たちがエスカレーターで地下の駅へ下りて行くのを眺めていたら、ふと、堀田善衛の『広場の孤独』という小説のタイトルを思い出しました。オレはこんなところで何をしているんだろう、なんて思ったら、なんだか身も心も目の前の空間の中に吸い込まれていくような感覚にとらわれました。
何度も同じことをくり返しますが、「思えば遠くに来たもんだ」としみじみ思います。ただその一方で、「もっと遠くへ」という気持もあります。もうそんな年ではないだろうという声が聞こえてきそうですが、やはりいくつになっても「一処不在」にあこがれる気持があるのです。ヒンズー教の林住期ではないですが、知らない土地でひっそりと最期を迎えたいという気持があります。
でも、今回の震災における多くの「無念の死」を前にすると、そう考えることすら贅沢に思えるのです。生死の分かれ目といいますが、その差はあまりにも大きく冷酷だとしか言いようがありません。
井上光晴は『明日』という小説で、長崎に原爆が投下される前日の庶民の日常を描きました。“明日”があることが前提だからこそ、日常の中にさまざまな思いや感情があり、その分希望や期待もあったのです。しかし、それも一瞬の閃光によって打ち砕かれ、“明日”は永遠に訪れることはなかったのでした。“明日”を閉ざされた人たちは、なんと無念だったろうと思わざるをえません。
石原吉郎もやはりシベリアの地に倒れた多くの「無念の死」を抱えて帰還し、戦後の文学を出発したのです。でも、それは文学だけでなく政治でもなんでも同じだと思います。そう考えるとき、「無念の死」に対する想像力の欠片さえ持ってない今の政治には慄然とせざるをえません。
原発の問題でも然りで、人類史上最悪の原発事故に遭遇してもなお、何事もなかったかのように「元の日常」に戻そうと腐心する姿ばかりが目立ちます。菅内閣の対応を批判するといっても、誰も原発再稼動に動く菅内閣の姿勢を批判するわけではないのです。むしろ逆で、再稼働もせず、いつまで経っても「元の日常」に戻そうとしない「モタモタした」姿勢を批判しているのです。突然打ち出したストレステストにしても、経産省主導で進められている原発再稼働に対する菅内閣の抵抗と受取れないこともないのですが、しかし、なぜかそういった見方はマスコミにも皆無なのです。
世界一高い電気料金を原資とする政治献金で甘い汁を吸った政治家たち、巨額の広告宣伝費に群がったマスコミや電波芸者たち、電力会社が提供する研究助成金に魂を売った曲学阿世の学者たち。彼らは未だに懲りずに「安全デマ」を流しつづけています。そして、電力不足キャンペーンなどにみられるように、電力会社は彼らを操ることで、相変わらず情報工作や世論工作をつづけているのです。やらせメールなんてそれこそ氷山の一角にすぎません。
原発反対派の学者や議員などを尾行したり、いやがらせの無言電話をかけたり、ときには身体的な危害を加えるようなことまでしていたのは、どこの誰なのか。それは誰の命令だったのか。活動資金はどこから出ていたのか。それに比べれば、やらせメールなんてまだかわいいものです。
しかし、どうごまかそうとも、東日本をおおう放射能汚染は、誰の身にも等しくふりかかってくるのです。先日のラジオで、「今の子供たちがこれから数十年にわたって高い確率で甲状腺の癌などに罹るのは間違いない。ただ早期発見早期治療をすれば、癌は怖い病気ではないので、これから息の長い健康チェックが必要だ」と言ってましたが、それが3.11以後の私たちの現実なのですね。もう「元の日常」なんてどこにもないのです。
にもかかわらず、この緊張感のなさはなんなのでしょうか。「安全デマ」で現実から目をそらし自分をごまかす姿勢も相変わらずですが、私たちもまた「無念の死」にどう応えるかが問われているのではないでしょうか。



万国橋から