叔父が亡くなり、そのことで田舎の母親と電話で話したり、また、田舎の同級生から電話がかかったりと、このところ田舎と連絡をとることが多かったということもあって、自分でも不思議なくらい郷愁におそわれています。
別に啄木のように石もて追われたわけではありませんが、私はもともと田舎(ふるさと)が好きではありません。だから、私にとっての郷愁は、どっちかと言えば、子どもの頃の記憶に出てくる田舎の風景のなかにあります。私が田舎が嫌いなのをよく知っている同級生から、「気持はようわかるけど、とにかく一度帰っち来(く)りゃいいのに」と言われました。また、先日は夢のなかに死んだ父親が出てきて、その日一日は夢の余韻でちょっとしんみりした気持になりました。
それで、ふと思いついて久しぶりに、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読み返しました。「銀河鉄道の夜」を初めて読んだのは、16才のときです。前年に発症して3ヶ月入院した病気が再発し、二度目の入院をしたときでした。
入院の日、父親と二人でタクシーに乗って入院先の国立病院に向かったのですが、途中繁華街を通りかかったら、突然父親が、タクシーの運転手さんに「ちょっとここで待っててくれますか」と言って、一人でどこかへ出かけて行ったのです。そして、しばらくして戻ってきた父親は、「ほら、これ」と言って、私にデパートの包装紙に包まれた小さな箱を差し出したのでした。「なんだろう?」と思って箱を開けたら、そこには腕時計が入っていました。そのセイコー5(ファイブ)の自動巻きが、私にとって初めての腕時計でした。本人は知る由もないのですが、再発したということもあって、病状はかなり深刻だったようです。腕時計は、そんな不憫な息子に対して精一杯の親心だったのかもしれません。
そのとき、入院用の寝巻や下着などと一緒にバックに入っていたのが、宮沢賢治の本でした。「風の又三郎」もそうですが、「銀河鉄道の夜」も私にとっては、そんな思い出とともにあります。そして、あらためて「銀河鉄道の夜」を読み返すと、胸がいっぱいになるくらいいろんな思い出がよみがえってくるのでした。
こんな感受性をゆさぶるような情景描写が宮沢賢治の作品の魅力ですが、こういった箇所にも私の思い出が重なるのでした。私は、小学校にあがると毎晩、坂道を下った先にある祖父母の家に泊まりに行くのが日課になっていました。夜遅く、ひとりで坂道を下るのはすごく怖くて、いつも脇目もふらず一目散に走って下っていました。そのとき、街灯に照らされた自分の影にいつも追いかけられているような気持になりました。そして、いつの間にかそんな世界のなかで物語を演じている自分がいました。
主人公のジョバンニは、ケンタウル祭(星祭り)の夜、きらびやかな灯りが遠くに輝き、「子どもらが歌う声や口笛、きれぎれの叫び声もかすかに聞こえて来る」、そんな街を見下ろす丘の上にひとりでやってきたのでした。そして、そこから幻想的な銀河鉄道の旅がはじまるのですが、こういったところにも、運動会の日に喧噪を離れてこっそり校舎の裏を訪れるのが好きだったという子どもの頃の自分がよみがえるような気がするのでした。
銀河鉄道に乗り合わせるのは、みんな亡くなった人たちです。それはあたかも死後の世界に向かっているかのようです。ただ、吉本隆明が書いていたように、その死後の世界(天上の世界)は、信仰する対象によって、人それぞれ違うのです。法華経を信仰し、最愛の妹トシの死を経験した宮沢賢治にとって、信仰は文字通り生きる縁(よすが)なのです。この物語では、主人公のジョバンニに、信仰のあるべき姿を描いているように思います。だから、ジョバンニがもっていた切符は、「天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券」だったのでしょう。
みんながそれぞれの天上へ行くために下車したあと、親友のカムバネルラと二人きりなったジョバンニは、後述する少女から聞いた、みずからの罪を悔い改め、みんなの幸せのために身を焼くことをいとわなかったという蠍の話を引いて、カムパネルラにこう言います。
また、列車に乗り合わせた奇妙な「鳥捕り」の男に対しても、男が突然姿を消したあと、ジョバンニはつぎのように思うのでした。
そのあと「六つばかりの男の子」とその姉の「十二ばかりの眼の茶いろな可愛らしい女の子」を連れた青年が乗ってきました。青年は二人の家庭教師でした。姉弟の父親が急な用でひと足先に本国に帰国したため、あとから二人を連れて帰国する途中、船が氷山にぶつかって沈没し、彼らは乗船客たちが殺到する救命ボートに乗ることを断念して、死後の旅にやってきたのでした。
「・・・僕、船に乗らなけゃよかったなあ。」と後悔する少年や、傍らで泣いている少女を前にして、青年は二人にこう言うのでした。
この青年のことばに示されているのが、「銀河鉄道の夜」の中心にあるテーマです。それは、仏教で言えば、「大悲はつねに我を照らし給う」慈悲の世界です。
死は誰にでも等しく訪れるのです。そのとき大事なのは、どんな豪華な部屋で死を迎えるかとか、どんな多くの人々に囲まれて死を迎えるかではなく、どんな思い出のなかでどんな物語をもって死を迎えるかではないでしょうか。だから、柳田国男は、ひとりひとりが「物語を語れ」「物語を創れ」と言ったのでしょう。
別に啄木のように石もて追われたわけではありませんが、私はもともと田舎(ふるさと)が好きではありません。だから、私にとっての郷愁は、どっちかと言えば、子どもの頃の記憶に出てくる田舎の風景のなかにあります。私が田舎が嫌いなのをよく知っている同級生から、「気持はようわかるけど、とにかく一度帰っち来(く)りゃいいのに」と言われました。また、先日は夢のなかに死んだ父親が出てきて、その日一日は夢の余韻でちょっとしんみりした気持になりました。
それで、ふと思いついて久しぶりに、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読み返しました。「銀河鉄道の夜」を初めて読んだのは、16才のときです。前年に発症して3ヶ月入院した病気が再発し、二度目の入院をしたときでした。
入院の日、父親と二人でタクシーに乗って入院先の国立病院に向かったのですが、途中繁華街を通りかかったら、突然父親が、タクシーの運転手さんに「ちょっとここで待っててくれますか」と言って、一人でどこかへ出かけて行ったのです。そして、しばらくして戻ってきた父親は、「ほら、これ」と言って、私にデパートの包装紙に包まれた小さな箱を差し出したのでした。「なんだろう?」と思って箱を開けたら、そこには腕時計が入っていました。そのセイコー5(ファイブ)の自動巻きが、私にとって初めての腕時計でした。本人は知る由もないのですが、再発したということもあって、病状はかなり深刻だったようです。腕時計は、そんな不憫な息子に対して精一杯の親心だったのかもしれません。
そのとき、入院用の寝巻や下着などと一緒にバックに入っていたのが、宮沢賢治の本でした。「風の又三郎」もそうですが、「銀河鉄道の夜」も私にとっては、そんな思い出とともにあります。そして、あらためて「銀河鉄道の夜」を読み返すと、胸がいっぱいになるくらいいろんな思い出がよみがえってくるのでした。
坂の下に大きな一つの街灯が、青白く立派に光って立っていました。ジョバンニが、どんどん電灯の方へ下りて行きます、いままでばけもののように、長くぼんやり、うしろへ引いていたジョバンニの影ぼうしは、だんだん濃く黒くはっきりなって、足をあげたり手を振ったり、ジョバンニの横の方へまわって来るのでした。
こんな感受性をゆさぶるような情景描写が宮沢賢治の作品の魅力ですが、こういった箇所にも私の思い出が重なるのでした。私は、小学校にあがると毎晩、坂道を下った先にある祖父母の家に泊まりに行くのが日課になっていました。夜遅く、ひとりで坂道を下るのはすごく怖くて、いつも脇目もふらず一目散に走って下っていました。そのとき、街灯に照らされた自分の影にいつも追いかけられているような気持になりました。そして、いつの間にかそんな世界のなかで物語を演じている自分がいました。
主人公のジョバンニは、ケンタウル祭(星祭り)の夜、きらびやかな灯りが遠くに輝き、「子どもらが歌う声や口笛、きれぎれの叫び声もかすかに聞こえて来る」、そんな街を見下ろす丘の上にひとりでやってきたのでした。そして、そこから幻想的な銀河鉄道の旅がはじまるのですが、こういったところにも、運動会の日に喧噪を離れてこっそり校舎の裏を訪れるのが好きだったという子どもの頃の自分がよみがえるような気がするのでした。
銀河鉄道に乗り合わせるのは、みんな亡くなった人たちです。それはあたかも死後の世界に向かっているかのようです。ただ、吉本隆明が書いていたように、その死後の世界(天上の世界)は、信仰する対象によって、人それぞれ違うのです。法華経を信仰し、最愛の妹トシの死を経験した宮沢賢治にとって、信仰は文字通り生きる縁(よすが)なのです。この物語では、主人公のジョバンニに、信仰のあるべき姿を描いているように思います。だから、ジョバンニがもっていた切符は、「天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券」だったのでしょう。
みんながそれぞれの天上へ行くために下車したあと、親友のカムバネルラと二人きりなったジョバンニは、後述する少女から聞いた、みずからの罪を悔い改め、みんなの幸せのために身を焼くことをいとわなかったという蠍の話を引いて、カムパネルラにこう言います。
「カムパネルラ、また僕たちは二人きりになったねえ。どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
また、列車に乗り合わせた奇妙な「鳥捕り」の男に対しても、男が突然姿を消したあと、ジョバンニはつぎのように思うのでした。
「僕はあの人が邪魔なような気がしたんだ。だから僕は大へんつらい。」ジョバンニはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。
そのあと「六つばかりの男の子」とその姉の「十二ばかりの眼の茶いろな可愛らしい女の子」を連れた青年が乗ってきました。青年は二人の家庭教師でした。姉弟の父親が急な用でひと足先に本国に帰国したため、あとから二人を連れて帰国する途中、船が氷山にぶつかって沈没し、彼らは乗船客たちが殺到する救命ボートに乗ることを断念して、死後の旅にやってきたのでした。
「・・・僕、船に乗らなけゃよかったなあ。」と後悔する少年や、傍らで泣いている少女を前にして、青年は二人にこう言うのでした。
「わたしたちはもうなんにもかなしいことないのです。わたしたちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。そこならもうほんとうに明るくて匂がよくて立派な人たちでいっぱいです。そしてわたしたちの代わりにボートに乗れた人たちは、きっとみんなに助けられて、心配して待っているめいめいのお父さんやお母さんや自分のお家へやら行くのです。さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう。」
この青年のことばに示されているのが、「銀河鉄道の夜」の中心にあるテーマです。それは、仏教で言えば、「大悲はつねに我を照らし給う」慈悲の世界です。
死は誰にでも等しく訪れるのです。そのとき大事なのは、どんな豪華な部屋で死を迎えるかとか、どんな多くの人々に囲まれて死を迎えるかではなく、どんな思い出のなかでどんな物語をもって死を迎えるかではないでしょうか。だから、柳田国男は、ひとりひとりが「物語を語れ」「物語を創れ」と言ったのでしょう。