私は、若い頃、某自動車ディラーで、トラックやバスなど商用車の営業をしていたことがありました。その当時、お客さんのなかに、野菜や肉牛などを直接買い付けるブローカーの人たちがいました。家畜を扱う人は「ばくろう(馬喰)」と呼ばれて昔からいましたが、「ばくろう」だけでなく、どの商売にも一匹狼のようなブローカーの人たちがいて、独自に商品を流していたのです。
今回の原発事故で、放射性物質に汚染された野菜や肉牛などが出荷停止の処置がとられたというニュースを聞くたびに、私は、ホントに大丈夫なんだろうか、ホントにすべてが出荷停止されているんだろうか、という疑問をおぼえてなりませんでした。農産物が、農協などを通した「正規」のルートだけで流れているわけではないということを、過去の経験から知っているからです。
それにもうひとつは、ついこの前までマスコミを賑わせていた(はずの)食品偽装の問題もあります。あの常態化した手口を使えば、産地の偽装、つまり、放射性物質に汚染された農産物をロンダリングするくらいいくらでもできそうです。
ところが、いつの間にか、農産物の放射能汚染の問題も、生産者や販売業者の性善説を前提に、「風評被害」の側面ばかりが語られるようになりました。それに、汚染されているのは、ホウレンソウやかき菜やパセリやブロッコリーやカリフラワーや稲わらだけなのか、また汚染されている地域も福島県や茨城県や栃木県や群馬県だけなのか、という疑問もあります。放射性物質は県単位で飛散するわけではないのに、汚染対策が県単位でおこなわれるのもおかしな話です。また、専門家のなかには、海洋汚染による魚介類の汚染の方がより深刻だと言う人もいますが、魚介類の対策はどうなっているのか、やはり、県単位でおこなれるのだろうかと思います。こうなったらもう笑い話です。
要するに、東日本をおおう放射能汚染は、実際はどうにもならない状態にあるのではないか。本来なら数十万数百万単位の住民の移住や、東日本一円の土壌除染が必要なのだけど、現実にはとても無理なので、そういった「笑い話」のような対策でお茶を濁すしかないのではないか。そう思ったりします。
テレビで「東日本を食べて応援しよう!」とTOKIOが言ってますが、ホントに大丈夫なんだろうかと思います。食べて応援したい気持はやまやまですが、現実はそんな単純なものではないのではないかと思ったりします。
そして、そんな私の疑問が、実は現実に存在していることを、前述した『別冊宝島1796号 日本を脅かす!原発の深い闇』(宝島社)の記事が指摘していました。著者は福島在住の記者だそうです。「『地元在住記者』が苦渋の告発!流通の闇に消える福島産『被爆食品』」(吾妻博勝)と題され、つぎのようなリード(要約文)が付けられていました。
記事では、つぎのような”告白”を紹介していました。
また、浜通りの屋内退避指示圏(緊急避難準備区域)の住民で、家族とともにいわき市に避難している別の男性の”告白”もありました。
男性は現在、同じ「原発難民」の友人と組んで、イチゴ農家からイチゴを安く買い集めて東京に運んでいるそうです。「タケノコと同じで福島産とは言えないので、千葉、埼玉、栃木産として売っている。売値は、関東産の相場の半分だから買い取り業者は大喜びだ」と。
原発事故の被害に遭って日常生活を奪われ、それでもなおこのような手段で生活の糧を得なければならない事情を考えるとき、彼らを責めるのは酷でしょう。しかし、一方で、食の安全を考えるとき、生産者や販売業者の”善意”にすがるしかない”危うさ”をおぼえないわけにはいきません。
そして、「風評被害」なる言葉がひとり歩きして、結果として問題の本質を隠ぺいする役割を果たしている現実がここにあるように思います。これでは学校給食が心配だという声も当然でしょう。子どもの健康が心配だから保育園や幼稚園をやめさせたとか、家族で西日本に引っ越したとかいった行動も、決して過剰反応だとは言えないように思います。
もちろん、これは氷山の一角にすぎません。生産者の反発やパニックを怖れたのか、農業用水の水質調査をする前に、政府(農水省)が作付けを認めた稲の収獲もこれからはじまりますが、安全性については当初から懸念する声がありました。その場合、自主流通米や闇のルートで流れる米はどうなるのか。被災地域以外の米はホントに大丈夫なのか。疑問は尽きません。
食物連鎖による内部被爆の問題は、これからが本番なのです。米やセシウム牛はまだ入口にすぎません。そして、それは、今後数十年にわたって私たちの食生活に暗い影を落とすことになるのです。いづれにしても、チェルノブイリの例をみるまでもなく、幼い子どもやお母さんたちにとって、深刻な現実が待ち構えていることは間違いないでしょう。
今回の原発事故で、放射性物質に汚染された野菜や肉牛などが出荷停止の処置がとられたというニュースを聞くたびに、私は、ホントに大丈夫なんだろうか、ホントにすべてが出荷停止されているんだろうか、という疑問をおぼえてなりませんでした。農産物が、農協などを通した「正規」のルートだけで流れているわけではないということを、過去の経験から知っているからです。
それにもうひとつは、ついこの前までマスコミを賑わせていた(はずの)食品偽装の問題もあります。あの常態化した手口を使えば、産地の偽装、つまり、放射性物質に汚染された農産物をロンダリングするくらいいくらでもできそうです。
ところが、いつの間にか、農産物の放射能汚染の問題も、生産者や販売業者の性善説を前提に、「風評被害」の側面ばかりが語られるようになりました。それに、汚染されているのは、ホウレンソウやかき菜やパセリやブロッコリーやカリフラワーや稲わらだけなのか、また汚染されている地域も福島県や茨城県や栃木県や群馬県だけなのか、という疑問もあります。放射性物質は県単位で飛散するわけではないのに、汚染対策が県単位でおこなわれるのもおかしな話です。また、専門家のなかには、海洋汚染による魚介類の汚染の方がより深刻だと言う人もいますが、魚介類の対策はどうなっているのか、やはり、県単位でおこなれるのだろうかと思います。こうなったらもう笑い話です。
要するに、東日本をおおう放射能汚染は、実際はどうにもならない状態にあるのではないか。本来なら数十万数百万単位の住民の移住や、東日本一円の土壌除染が必要なのだけど、現実にはとても無理なので、そういった「笑い話」のような対策でお茶を濁すしかないのではないか。そう思ったりします。
テレビで「東日本を食べて応援しよう!」とTOKIOが言ってますが、ホントに大丈夫なんだろうかと思います。食べて応援したい気持はやまやまですが、現実はそんな単純なものではないのではないかと思ったりします。
そして、そんな私の疑問が、実は現実に存在していることを、前述した『別冊宝島1796号 日本を脅かす!原発の深い闇』(宝島社)の記事が指摘していました。著者は福島在住の記者だそうです。「『地元在住記者』が苦渋の告発!流通の闇に消える福島産『被爆食品』」(吾妻博勝)と題され、つぎのようなリード(要約文)が付けられていました。
県内で買い手を失った食品が、産地を隠して密かに首都圏へ出荷されている。地元民でさえ忌避するのに、なぜ「福島産を食べよう!」といえるのか。
記事では、つぎのような”告白”を紹介していました。
各種山菜を都内の卸業者に送り届けてきた会津地方の男性は、「今年は放射能のおかげで競争相手が少ないから採り放題だった」と前置きして、こう打ち明ける。
「福島産だと、卸業者も『それでは売れない』と言うので、話合ったすえ、新潟、山形県産にして出荷することにした。セリ(卸売市場)にかけるわけじゃないから、そんなことどうにもなるわけさ。本当の産地を言ったら、店が売ってくれないから仕方ないよ。俺だって生活がかかってるしな。(以下略)」
また、浜通りの屋内退避指示圏(緊急避難準備区域)の住民で、家族とともにいわき市に避難している別の男性の”告白”もありました。
「10年以上前から付き合いのある業者から、『東日本大震災と放射能騒ぎで東北産の山菜が品不足だ。関東のスーパーではタケノコが1本800円もするので、そっちでなんとかならないか』と言われた。浜通りではタケノコから基準値オーバーのセシウムが検出され、県が採取、出荷自粛を呼びかけていたけど、自粛したら俺たち一家が干上がってしまう。竹林の持ち主が、『竹がこれ以上増えたら手に負えなくなる。どんどん採ってくれ』と言うので、3日に1回のペースで東京に運んだ。もちろん、トラックでね」
男性は現在、同じ「原発難民」の友人と組んで、イチゴ農家からイチゴを安く買い集めて東京に運んでいるそうです。「タケノコと同じで福島産とは言えないので、千葉、埼玉、栃木産として売っている。売値は、関東産の相場の半分だから買い取り業者は大喜びだ」と。
原発事故の被害に遭って日常生活を奪われ、それでもなおこのような手段で生活の糧を得なければならない事情を考えるとき、彼らを責めるのは酷でしょう。しかし、一方で、食の安全を考えるとき、生産者や販売業者の”善意”にすがるしかない”危うさ”をおぼえないわけにはいきません。
そして、「風評被害」なる言葉がひとり歩きして、結果として問題の本質を隠ぺいする役割を果たしている現実がここにあるように思います。これでは学校給食が心配だという声も当然でしょう。子どもの健康が心配だから保育園や幼稚園をやめさせたとか、家族で西日本に引っ越したとかいった行動も、決して過剰反応だとは言えないように思います。
もちろん、これは氷山の一角にすぎません。生産者の反発やパニックを怖れたのか、農業用水の水質調査をする前に、政府(農水省)が作付けを認めた稲の収獲もこれからはじまりますが、安全性については当初から懸念する声がありました。その場合、自主流通米や闇のルートで流れる米はどうなるのか。被災地域以外の米はホントに大丈夫なのか。疑問は尽きません。
食物連鎖による内部被爆の問題は、これからが本番なのです。米やセシウム牛はまだ入口にすぎません。そして、それは、今後数十年にわたって私たちの食生活に暗い影を落とすことになるのです。いづれにしても、チェルノブイリの例をみるまでもなく、幼い子どもやお母さんたちにとって、深刻な現実が待ち構えていることは間違いないでしょう。