先日の朝日新聞に、「『フクシマの情報公開怠り住民被曝』NYタイムズ報道」という見出しで、つぎのような記事が出ていました。
この記事を読んで、逆に「朝日よ、恥を知れ」と言いたくなりました。こういった記事は、本来なら朝日など日本の新聞が書くべき記事です。にもかかわらず日本のマスコミは、ただ”大本営発表”を垂れ流すだけで、政府と一緒になって真相を隠していたのです。
それにしても、「避難コストがかさむことを恐れた政府が公表を避けた」なんて、なんという政府なんだと思います。と同時に、暗欝な気分にならざるをえませんでした。私たちには、住民(国民)の被爆より「避難コスト」の方を優先する、そんな政府しかないのですから。
こういう実態を知ると、(話は大きくなりますが)国家は誰のものかという疑問を抱かざるをえません。今回の大震災と原発事故で、私たちが遭遇したのは、実はそういう疑問ではないでしょうか。間違っても東浩紀が言うように、危機に際して自分たちの国家に誇りをもつようになったというような、そんな単純なものではありません。
前述した生活保護の「総額抑制」もそうですが、この手の発想はあきらかに官僚のものです。ただ、内田樹氏が『下流志向』で指摘していたように、私たちもまた同じように、ものごとを経済合理性(費用対効果)で適か不適か必要か不要か得か損かを考える発想に縛られているのです。それは、情報を独占し国家を簒奪する者たちにとって実に都合のいい発想だと言えます。(再び宮台真司の口真似をすれば)そうやって官僚や政治家に「依存」している限り、よらしむべし知らしむべからずの政治で「統制」されるのは当然で、それこそ”衆愚政治”と言うべきかもしれません。
東日本だけでなく、島根県の堆肥からも暫定基準値を超えるセシウムが検出されたというニュースがありましたが、このようにコスト計算ばかりして放射能汚染の拡大を放置するような、とんでもない政治を支えているのは、ほかならぬ私たち自身なのです。そして、脛に傷をもつようなワルたちが暗躍する民主党の次期政権では、このとんでもない政治がより合理化されるのは間違いありません。
東京電力福島第一原発の事故をめぐり、米ニューヨーク・タイムズ紙は9日付紙面で、日本政府が緊急時迅速放射能影響予測(SPEEDI)のデータを事故直後に公表することを怠ったために、福島県浪江町など原発周辺自治体の住民らが被曝(ひばく)している可能性が高いと伝えた。
長文の記事は、菅政権との対立で4月に内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘・東大大学院教授が、事故直後にSPEEDIのデータ公表を政府に進言したが、避難コストがかさむことを恐れた政府が公表を避けたと指摘。「原発事故の規模や健康被害のリスクを過小評価しようとする政府に対し、社会の怒りが増大している」と論評した。
そのほか、原子炉のメルトダウンを裏付けるデータ公表の遅れや、校庭での放射性物質の基準値をめぐるぶれなども問題視した。(ニューヨーク=田中光)
(asahi.com 2011年8月10日1時45分配信)
この記事を読んで、逆に「朝日よ、恥を知れ」と言いたくなりました。こういった記事は、本来なら朝日など日本の新聞が書くべき記事です。にもかかわらず日本のマスコミは、ただ”大本営発表”を垂れ流すだけで、政府と一緒になって真相を隠していたのです。
それにしても、「避難コストがかさむことを恐れた政府が公表を避けた」なんて、なんという政府なんだと思います。と同時に、暗欝な気分にならざるをえませんでした。私たちには、住民(国民)の被爆より「避難コスト」の方を優先する、そんな政府しかないのですから。
こういう実態を知ると、(話は大きくなりますが)国家は誰のものかという疑問を抱かざるをえません。今回の大震災と原発事故で、私たちが遭遇したのは、実はそういう疑問ではないでしょうか。間違っても東浩紀が言うように、危機に際して自分たちの国家に誇りをもつようになったというような、そんな単純なものではありません。
前述した生活保護の「総額抑制」もそうですが、この手の発想はあきらかに官僚のものです。ただ、内田樹氏が『下流志向』で指摘していたように、私たちもまた同じように、ものごとを経済合理性(費用対効果)で適か不適か必要か不要か得か損かを考える発想に縛られているのです。それは、情報を独占し国家を簒奪する者たちにとって実に都合のいい発想だと言えます。(再び宮台真司の口真似をすれば)そうやって官僚や政治家に「依存」している限り、よらしむべし知らしむべからずの政治で「統制」されるのは当然で、それこそ”衆愚政治”と言うべきかもしれません。
東日本だけでなく、島根県の堆肥からも暫定基準値を超えるセシウムが検出されたというニュースがありましたが、このようにコスト計算ばかりして放射能汚染の拡大を放置するような、とんでもない政治を支えているのは、ほかならぬ私たち自身なのです。そして、脛に傷をもつようなワルたちが暗躍する民主党の次期政権では、このとんでもない政治がより合理化されるのは間違いありません。