仕事先でたまたま知り合った人と話をしていたら、その人の義理のお兄さんが私の高校の先輩だということがわかりびっくりしました。さらに、その義理のお兄さんの「波乱万丈な」人生の話を聞いて二度びっくりしました。

義理のお兄さんを仮にA氏としますが、A氏は東京の大学を卒業すると、家業を継ぐために故郷の九州の町にUターンしたのだそうです。しかし、30をすぎてから商売がうまくいかなくなり、やむをえず家業をたたむと、既に子供も二人いたそうですが、なんと妻子を連れてブラジルに渡ったのだとか。そして、現地の日系企業に就職し、現在、会社の役員になっていて、このままブラジルに永住することを決めているのだそうです。

私はその話を聞いて「すごいな」と思いました。既に家庭をもち子供が二人いるにもかかわらず、故郷の生活を清算して日本を出奔する決断と勇気がなにより「すごい」と思うのです。そして、私は、その話を聞いて「デラシネ(根無し草)」ということばを思い浮かべました。五木寛之氏の小説にも『デラシネの旗』(文春文庫)というのがありますが、団塊の世代にはこういったデラシネな生き方を志向する風潮がたしかにあったのですね。

若い頃、私がよく通っていた高円寺のジャズ喫茶にも似たような志向の人たちが集まっていました。彼らは学生運動に挫折し、大学を中退すると就職するでもなく、日本にいるときは肉体労働でお金を稼ぎ、ある程度お金がたまると半年とか1年とか海外を放浪、お金が底をつくと再び日本に舞い戻って資金稼ぎのアルバイトをするということをくり返していました。

A氏の話を聞いて、あの高円寺のジャズ喫茶に集まっていた人たちは今頃どうしているんだろうと思いました。このように団塊の世代とは、ジモト志向でタコ壺化する一方の今の若者たちとは、まさに真逆にある世代でもあったのです。少なくともそういう一面をもっていたのです。そこが私たち後発の世代があこがれた理由でもあるのです。

先日はA氏の娘が日本に来たそうです。娘は日本語の会話は不自由ないものの、読み書きはほとんどできないと言ってました。ただ、4歳のときまでいた九州の町の風景が心に残っているみたいで、とてもなつかしがっていたそうです。

故郷というのは求心力のようであって実は遠心力でもあるのだ、と言ったのは『ふるさと考』(講談社現代新書)の故松永伍一氏ですが、私はそんなふるさとに帰りたくてももう二度と帰れない人たちの胸のうちにあるのが”本当のふるさと”ではないかと思います。ふるさとというのは、やはり「遠きにありて思ふもの」(室生犀星)なのかもしれません。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
(「小景異情ーその二」)


海外に雄飛するほどの勇気はありませんでしたが、私も故郷を出奔したひとりとして、この犀星の詩にはやはり胸にこみあげてくるものがあります。たとえ「うらぶれて異土の乞食」になっても、ふるさとは帰るところではないのです。だから、ふるさとはこのように哀しく歌うものなのでしょう。
2011.09.04 Sun l 日常・その他 l top ▲