昨日の朝、東横線に乗っているときのことでした。各駅停車の電車で、車内が空いていたので、私はシルバーシートにすわっていました。私は、普段は立っていることが多いのですが、空いているときはシルバーシートでもすわります。もちろん、お年寄りや身障者の方が来たら当然席を譲ります。どこかの誰かのようにタヌキ寝入りはしません。タヌキ寝入りするくらいならすわらなければいいのにと思います。

私がすわっていた席は、三人掛けでしたが、真中に一人分のスペースが空いていました。また、向かいの三人掛けの席(シルバーシート)もやはり真中に一人分のスペースが空いていました。向かって左側は30代くらいのサラリーマン風の男性で、右側のドア側の席には若い男性がすわっていました。しかも、彼は大きな紙袋をもっており、それを自分の席の横に置いていました。彼はいかにも今風に、毛先が遊びすぎている(!?)ボサボサ頭に、ダメージ加工なのかホントに洗濯をしていないのかわからないようなヨレヨレのフリースを着ていました。裾がほつれたジーンズに塗料の剥げたボロボロのフェイクレザー(要するに合皮)のブーツをはいて、座席に上体を投げ出すようにしてすわり、まるでペンギンのような短い脚を組んで(そのためによけい上体を投げ出すようにしてすわらなければならない)うたた寝をしていました。

と、そこへ杖をついた高齢の男性が乗ってきたのです。どうやら足が不自由な様子です。私が思わず立ち上がろうとしたら、その男性はなぜか前のペンギン男の横にすわったのです。ペンギン男もその気配に気づいて一瞬目を開けたものの、再びうたた寝(あるいはタヌキ寝入り)に戻りました。しかし、横に置いた紙袋が邪魔で、男性も窮屈そうでした。男性の顔には、あきらかに不快な表情がみてとれました。

やがて二つ目の駅にさしかかると、男性がおりる支度をはじめました。しかし、いかにも難儀そうに杖を支えに立ちあがりドアの方に進もうとしたら、ペンギン男の足が邪魔で前に進めません。すると、男性は「足が邪魔なんだよ!」と鋭い口調で言ったのです。でも、ペンギン男はまったく知らんぷりです。「邪魔だと言ってるだろう!」と男性はもう一度声を荒げて言いました。すると、ペンギン男は、やっと前で組んでいた足をうしろに引っ込めたのでした。

さらに男性はドアの前まで進むと、ペンギン男の方に向けてこう言い放ったのでした。「お前みたいなやつは、人間のクズと言うんだ!」 しかし、ペンギン男はまったく表情を変えることもなく、再び足を組むと目をつむってうたた寝をはじめたのでした。

私は、そのことばを聞いて、だったら世の中「クズ」だらけじゃないか、と思いました。その伝でいけば、東横線の乗客の4分の1は「クズ」です。沿線にある某有名私立大生の3分の1も「クズ」学生と言わねばなりません。たしかにペンギン男の態度はお話にならないくらい無神経でハタ迷惑です。男性はよほど腹にすえかねたのでしょう。その気持もよくわかります。ただ一方で、不用意にそんなことばを吐く男性に対して、私は違和感を抱かざるをえませんでした。これじゃどっちもどっちじゃないか、と思いました。

あえて言えば、シルバーシートというのは、「当然の権利」ではないはずです。優先席ではあるけれど、あくまでそれは、思いやりやいたわりといった他人の心遣いの範疇にあるものです。ましてこの場合、すわれなかったわけではなく、邪魔だったからにすぎません。もしかしたら、男性はすわることができたかどうかより、自分たちの”聖域”であるシルバーシートに、若者が大きな態度ですわっていること自体が気に入らなかったのかもしれません。男性のなかに、「当然の権利」「自分たちの特権」という意識がなかったとは言えないのではないでしょうか。

そもそもシルバーシートなんて必要なのだろうかと思ってしまいます。シルバーシートは、言うなれば鉄道会社のお節介のようなものです。シルバーシートが空いていてもすわらない人も多いのですが、そういった人たちは「マナーがいい」というより「面倒だから」すわらないのではないでしょうか。善意に便乗した中高年のおばさんから、いかにも「アンタどきなさいよ」と言わんばかりに前に立たれたりするのは、たしかに「面倒」なのです。

実際、シルバーシートに善意なんてほとんど存在しないと言ってもいい。そこにあるのは、善意の強要と「当然の権利」だという過剰な権利意識とそれに便乗するいやしい心根と君子危うきに近寄らず式の事なかれ主義です。ホントに高齢者や身障者をいたわるマナーを啓発しようと思うなら、むしろシルバーシートをなくして、どこの席でも誰にでもマナーの向上を訴えた方がよほど意味があるように思います。高校生などをみればわかりますが、シルバーシートがあることによって、逆にほかの座席のマナーが悪くなっているという側面もあるのではないでしょうか。

もとより絶対的な正義や絶対的な善なんてないのです。たとえ”弱者”であろうが誰であろうがそれを振りかざす権利はない。まして鉄道会社がそれを代行するなんて、”気持の悪さ”すら覚えてなりません。
2011.12.23 Fri l 日常・その他 l top ▲