同じような話ばかりで恐縮ですが、先日、いとうせいこう氏のTwitter を見ていたら、「さようなら原発1000万人アクションの賛同人にジュリーも署名」という書込みがありました。「さようなら原発1000万人アクション」のサイトを見ると、沢田研二はつぎのようなメッセージを寄せていました。

美しい日本を護るために一人でも多くの覚悟が不可欠です。
個人としては微力ですが、歩を進めましょう。
声なき声を集めて。さあ!


芸能界ではほかに吉永小百合や竹下景子なども署名していました。

私は、先日の「『愚民社会』」の記事のなかで、渡辺謙がダボス会議で訴えた「絆」に違和感があると書きましたが、その後、渡辺謙は同会議でつぎのような発言をしていることを知りました。

国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし 度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物 質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に 頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。
(東京新聞 TOKYO Web 2012年1月26日配信)


渡辺謙もまた、原発から再生可能エネルギーへの転換を訴えていたのです。しかし、新聞やテレビはそういった発言はほとんど無視して、ただ「絆」の部分だけを切りとって報道したのでした。こういったところにも今回の原発事故でマスコミが果たした役割が垣間見える気がします。

別に有名人に限らないでしょうが、多くの人たちが今回の原発事故を通して、電力会社や政府だけでなくマスコミや原発事故を解説する専門家などに対して不信感を抱いたのは間違いないでしょう。私のまわりでもどこにでもいるようなおっさんやおばさんが、「どうして東電を潰さないのか?」「こんな理不尽なことが許されるのか?」などと怒っていましたが、それは多くの人たちが共有する感覚でしょう。

にもかかわらず、マスコミは相変わらず東電をはじめ電力会社を正面から批判することを避けています。たとえば、7~8年前に発覚した耐震偽装事件のときと比較すればよくわかりますが、あのときは関係者の会社や自宅に押しかけて、テレビカメラの前でマイクを突き付けて詰問したものです。ことの是非は別にして、会社が小さかったり個人だったりすると、マスコミは容赦なく本人への直撃取材や周辺取材を行います。しかし、今回、同じように東電の経営者の自宅に押しかけて、マイクを突き付けたか。そんな場面は一度だってありません。それどころか、逆に政府や東電が操作する「ただちに健康に影響はない」キャンペーンや「電力不足」キャンペーンのお先棒を担いだのでした。斉藤和義ではないですが、「ウソ」はまだつづいているのです。

そんな中で、民主党が「今夏の電力不足を懸念して原発再稼働を容認」という報道がありました。これでストレステストも単に原発再稼働のための机上の儀式であることがはっきりしました。しかも、ストレステストの結果に対する専門家の意見聴取会を仕切り、「妥当」のお墨付きを与えたのは、ほかならぬあの原子力安全・保安院なのですから、あいた口がふさがらないとはこのことでしょう。あの原発事故は一体なんだったんだ?と言いたくなります。

すべてを元の木阿弥にしようとする政府・民主党・経産省やマスコミ・電力会社の姿勢は、「どうして東電を潰さないのか?」「こんな理不尽なことが許されるのか?」という真っ当な感覚をまるであざ笑うかのようです。
2012.02.16 Thu l 震災・原発事故 l top ▲