このあたりは都市計画法で第一種住居地域に指定されていて、商業施設の面積が細かく規制されているのですが、なぜか今月4000平米を超える大型スーパー(スーパーと医療モールとドラッグストアからなる複合施設)がオープンすることになりました。
オープンに至る経緯については、「ライフ大倉山店建築計画を解剖する」という秀逸なサイトに詳しく書かれていますが、たしかに、近所にスーパーができれば、わざわざ駅の近くに行かなくて済むので便利です。それに、食品スーパーが必要だというのも理解できないわけではありません。しかし、周辺の道路事情を考えると、駐車場付きの大型スーパーなんてホントに大丈夫なんだろうか、「無謀」じゃないか、と思わざるを得ません。
それに、最初に計画したスーパーは却下されたのに、どうして今のスーパーがOKだったのかという疑問もあります。さまざまな噂も流れていますが、過酷な競争のなかにある企業が、生き残りをかけて新しい市場を開拓するのはある意味で当然で、そのためにはどんな手段だって(どんな政治力だって!)使うでしょう。要は、それに対して、地元がどういう姿勢で臨むかではないでしょうか。
何度も同じことを言いますが、大倉山にはいい素材があるのに、どうしてわざわざこのような「ファスト風土化」を選択しなければならなかったのかと思います。この件では、横浜市の事なかれ主義もさることながら、まちづくりに対する商店街や住民たちのポリシーのなさが、はからずも露呈したように思えてなりません。大倉山出身の建築家・隅研吾氏は、清野由美氏との対談『新・ムラ論TOKYO』(集英社新書)のなかで、「二十一世紀に町を再開発するなら、まず道路を『敵』にする発想が絶対に必要です」と言ってましたが、どうしてそんな発想が生まれなかったのでしょうか。近隣のほかのスーパーでも問題になっているようですが、どこにでも車で行かなければ気が済まないような”イタい人”たちに迎合して、どんなまちづくりができるんだと思います。
同じ東横線沿線でも元住吉などは、個人商店ががんばっていて、すごく魅力のある商店街になっています。地元の食品スーパーが大手のスーパーに伍してがんばっている姿を元住吉では見ることができます。隣の日吉からも買物に来るそうですが、それもよくわかります。そのいちばんの要因は、駅前の道路を日中通行止めにして買物客を優先しているからです。それこそ「道路を『敵』にする発想」と言うべきでしょう。
「便利になるからいいじゃないか」「反対するやつはなんでも反対するんだ」と言うのは、原発と同じで、(宮台真司の受け売りですが)丸山真男が言う「作為の契機の不在」です。水は低いほうに流れるではないですが、悲しいかな、そうやってほとんどなにも考えなくても済むような(考えようともしないような)、自明性や二者択一論のわかりやすさや長いものに巻かれろの事大主義といった「作為の契機の不在」の空気に流されるのが現実なんだな、としみじみ思いました。
オープンに至る経緯については、「ライフ大倉山店建築計画を解剖する」という秀逸なサイトに詳しく書かれていますが、たしかに、近所にスーパーができれば、わざわざ駅の近くに行かなくて済むので便利です。それに、食品スーパーが必要だというのも理解できないわけではありません。しかし、周辺の道路事情を考えると、駐車場付きの大型スーパーなんてホントに大丈夫なんだろうか、「無謀」じゃないか、と思わざるを得ません。
それに、最初に計画したスーパーは却下されたのに、どうして今のスーパーがOKだったのかという疑問もあります。さまざまな噂も流れていますが、過酷な競争のなかにある企業が、生き残りをかけて新しい市場を開拓するのはある意味で当然で、そのためにはどんな手段だって(どんな政治力だって!)使うでしょう。要は、それに対して、地元がどういう姿勢で臨むかではないでしょうか。
何度も同じことを言いますが、大倉山にはいい素材があるのに、どうしてわざわざこのような「ファスト風土化」を選択しなければならなかったのかと思います。この件では、横浜市の事なかれ主義もさることながら、まちづくりに対する商店街や住民たちのポリシーのなさが、はからずも露呈したように思えてなりません。大倉山出身の建築家・隅研吾氏は、清野由美氏との対談『新・ムラ論TOKYO』(集英社新書)のなかで、「二十一世紀に町を再開発するなら、まず道路を『敵』にする発想が絶対に必要です」と言ってましたが、どうしてそんな発想が生まれなかったのでしょうか。近隣のほかのスーパーでも問題になっているようですが、どこにでも車で行かなければ気が済まないような”イタい人”たちに迎合して、どんなまちづくりができるんだと思います。
同じ東横線沿線でも元住吉などは、個人商店ががんばっていて、すごく魅力のある商店街になっています。地元の食品スーパーが大手のスーパーに伍してがんばっている姿を元住吉では見ることができます。隣の日吉からも買物に来るそうですが、それもよくわかります。そのいちばんの要因は、駅前の道路を日中通行止めにして買物客を優先しているからです。それこそ「道路を『敵』にする発想」と言うべきでしょう。
「便利になるからいいじゃないか」「反対するやつはなんでも反対するんだ」と言うのは、原発と同じで、(宮台真司の受け売りですが)丸山真男が言う「作為の契機の不在」です。水は低いほうに流れるではないですが、悲しいかな、そうやってほとんどなにも考えなくても済むような(考えようともしないような)、自明性や二者択一論のわかりやすさや長いものに巻かれろの事大主義といった「作為の契機の不在」の空気に流されるのが現実なんだな、としみじみ思いました。