
今日は春本番を思わせるようなうららかな天気でした。そんな陽気にさそわれて、午後から久しぶりに散歩に出かけました。鶴見川の土手に出て、新羽橋から下流に向けて歩きました。土手の上の遊歩道は、同じように散歩する人たちがひっきりなしに行き交っていました。ただ、平日なので、歩いているのはいづれも中高年の人たちでした。
大綱橋の手前で大曽根台の商店街に入り、それからいったん綱島街道に出て、大倉山ヒルタウンの前から脇道に入りました。ふと師岡の熊野神社にお参りしようと思ったからです。今年は初詣にも行ってませんでしたので、熊野神社も久しぶりでした。
境内のベンチでは、若いカップルが楽しそうにおしゃべりをしながら弁当を広げていました。あの弁当は彼女の手作りなんだろうかと思いました。
春はどうしてこんなにせつないんだろうと思います。無性にせつなくてもの哀しくてなりません。特に、平日の午後、こうしてあてもなく郊外の街を歩いていると、よけいそんな気分になります。
気が付いたらこんなところまで来ていたのです。そして、これからどこまで行くつもりなんだろうと思います。この人生もまた、ただあてどもなく歩いてきたような気がします。人を疑い、人を誹謗し、人を貶め、人に背を向け、ずっとあてもなく歩いてきたのです。そんな思いが頭のなかで交錯しました。そして、それをふり払うかのように、必死の思いで手を合わせている自分がいました。
帰りは2号線を大豆戸の交差点に向かって歩きました。交差点の角にある洋服の青山の前で、自転車を停めて、店頭のワゴンに並べられている男物のワイシャツを一心に物色している女性の姿が目に入りました。おそらく買物帰りの奥さんなのでしょう。なんだかその姿が目にまぶしく映ってなりませんでした。
当たり前のことを当たり前に暮らしていくということが、どんなに大切なことかとしみじみ思います。
春はまだはじまったばかりなのです。