同じ田舎の人間で、すごく仲のいい友達がいました。年齢はひとつ上だったのですが、中学のとき、同じ野球部に入って急に親しくなりました。
高校はそれぞれ親元を離れて別の学校に行ったのですが、休みで実家に帰ったときは、毎日家に遊びに来て、他愛のないおしゃべりをして時間を潰したりしていました。また、彼が東京の大学に進学してからも、休みになり帰省すると、やはり毎日家にやって来ました。
私の大学受験のときも、試験の前夜は彼の下宿に泊まって、試験会場まで付き添ってくれました。あいにく受験には失敗したのですが、そのときも、合格発表をみに行った彼から「サクラチル、ムネン」という電報が届いたのを覚えています。
どうして急に友達のことを思い出したのかと言えば、たまたま仕事先の知り合いの方と話をしていたら、渋谷の富ヶ谷にある某病院の話が出たからです。知り合いの方はその病院に入院していたそうですが、実は私も予備校に通っていた頃、その病院に受診したことがあったのです。
検査の結果がよくなくて、先生から「このままでは取り返しのつかないことになるので、いったん田舎に帰って、身体を直してから再挑戦したほうがいいんじゃないか」と説得されました。そして、九州から父親が迎えにきて、東京を引き上げることになったのでした。
そのとき一緒に病院に行ってくれたのも彼でした。私は既に体重が20キロ近く減って、大泉学園に借りていたアパートでほとんど寝たっきりの毎日を送っていました。上京する前に、その大泉学園のアパートを探してくれたのも彼でした。私の予算で探したら大泉学園まで行ってしまった、と言っていました。
そんななか、突然彼がアパートにやってきたのです。連絡がないので心配して、目黒からわざわざ訪ねてきたのでした。そして、私の様子をみた彼は、びっくりして、「とにかく病院に行こう」と言いました。しかし、どこの病院に行っていいのか、あてもありません。それに、病院に行くお金もありません。すると、彼が、「学校に行く途中に病院があったけど、あそこがいいんじゃないか」と言うのです。彼は通学のバスのなかから、山手通り沿いにあるその病院をいつもみていたらしいのです。お金は彼が親しくしている近所のパン屋さんから借りることになりました。そして、二人で電車とバスを乗り継いで富ヶ谷の病院に行ったのでした。
彼は大学を卒業すると、そのまま東京の会社に就職しました。そして、近所のパン屋さんで働いていた女性と結婚しました。その後、私も再び上京しました。しかし、いつの間にか会うこともなくなりました。もう20年近く前、新宿駅近くの路上でばったり会って、一緒に食事をしたのが最後です。年賀状も途絶え、連絡先もわからなくなりました。新宿で会ったとき、彼が「もう帰る家がなくなった」とさみしそうに言っていたのを覚えています。田舎の両親も亡くなり、実家も既に人手に渡っていたからです。
昔の恋人に会いたいかと言えば、私の場合、ひとりを除いてそんなに会いたいとは思いません。でも、友達はいつかは会いたいと思います。恋人はいつまでも恋人ではないけれど、友達はいつまで経っても友達なのです。「ピカピカの1年生、友達何人できるかな?」というのも、案外、人生の深いところを衝いているのではないか、と冗談ではなく思うことがあります。武者小路実篤もむげにバカにできない気分です。
商業的には「恋愛」のほうがお金になるので、恋愛至上主義と言われるように、世間やマスコミではやたら「恋愛」がもてはやされますが、しかし、やっぱり「恋人より友達」なのだと思います。特に同性の友達は大事です。年をとればとるほどそれを痛感させられます。
高校はそれぞれ親元を離れて別の学校に行ったのですが、休みで実家に帰ったときは、毎日家に遊びに来て、他愛のないおしゃべりをして時間を潰したりしていました。また、彼が東京の大学に進学してからも、休みになり帰省すると、やはり毎日家にやって来ました。
私の大学受験のときも、試験の前夜は彼の下宿に泊まって、試験会場まで付き添ってくれました。あいにく受験には失敗したのですが、そのときも、合格発表をみに行った彼から「サクラチル、ムネン」という電報が届いたのを覚えています。
どうして急に友達のことを思い出したのかと言えば、たまたま仕事先の知り合いの方と話をしていたら、渋谷の富ヶ谷にある某病院の話が出たからです。知り合いの方はその病院に入院していたそうですが、実は私も予備校に通っていた頃、その病院に受診したことがあったのです。
検査の結果がよくなくて、先生から「このままでは取り返しのつかないことになるので、いったん田舎に帰って、身体を直してから再挑戦したほうがいいんじゃないか」と説得されました。そして、九州から父親が迎えにきて、東京を引き上げることになったのでした。
そのとき一緒に病院に行ってくれたのも彼でした。私は既に体重が20キロ近く減って、大泉学園に借りていたアパートでほとんど寝たっきりの毎日を送っていました。上京する前に、その大泉学園のアパートを探してくれたのも彼でした。私の予算で探したら大泉学園まで行ってしまった、と言っていました。
そんななか、突然彼がアパートにやってきたのです。連絡がないので心配して、目黒からわざわざ訪ねてきたのでした。そして、私の様子をみた彼は、びっくりして、「とにかく病院に行こう」と言いました。しかし、どこの病院に行っていいのか、あてもありません。それに、病院に行くお金もありません。すると、彼が、「学校に行く途中に病院があったけど、あそこがいいんじゃないか」と言うのです。彼は通学のバスのなかから、山手通り沿いにあるその病院をいつもみていたらしいのです。お金は彼が親しくしている近所のパン屋さんから借りることになりました。そして、二人で電車とバスを乗り継いで富ヶ谷の病院に行ったのでした。
彼は大学を卒業すると、そのまま東京の会社に就職しました。そして、近所のパン屋さんで働いていた女性と結婚しました。その後、私も再び上京しました。しかし、いつの間にか会うこともなくなりました。もう20年近く前、新宿駅近くの路上でばったり会って、一緒に食事をしたのが最後です。年賀状も途絶え、連絡先もわからなくなりました。新宿で会ったとき、彼が「もう帰る家がなくなった」とさみしそうに言っていたのを覚えています。田舎の両親も亡くなり、実家も既に人手に渡っていたからです。
昔の恋人に会いたいかと言えば、私の場合、ひとりを除いてそんなに会いたいとは思いません。でも、友達はいつかは会いたいと思います。恋人はいつまでも恋人ではないけれど、友達はいつまで経っても友達なのです。「ピカピカの1年生、友達何人できるかな?」というのも、案外、人生の深いところを衝いているのではないか、と冗談ではなく思うことがあります。武者小路実篤もむげにバカにできない気分です。
商業的には「恋愛」のほうがお金になるので、恋愛至上主義と言われるように、世間やマスコミではやたら「恋愛」がもてはやされますが、しかし、やっぱり「恋人より友達」なのだと思います。特に同性の友達は大事です。年をとればとるほどそれを痛感させられます。