今日の朝日新聞(asahi.com)に、「東電値上げ『出来レース』か 経産省が事前にシナリオ」という見出しで、つぎのような記事が出ていました。

 経済産業省が、東京電力から家庭向け電気料金の値上げ申請を受ける前の4月に、あらかじめ「9月1日までに値上げ」という日程案をつくっていたことがわかった。東電は7月1日からの値上げを申請したが、経産省は審査に時間がかかることまで計算し、申請から認可、値上げまでのシナリオを描いていた。

 朝日新聞は、経産省資源エネルギー庁が庁内の関係者向けに4月につくった「規制電気料金認可に係るスケジュール等について(案)」という文書を入手した。値上げが妥当かどうかを審査する経産省が、東電の申請前から、値上げを延期したうえで認可するという「出来レース」を組み立てていた可能性があり、審査体制が適正かどうかが問われる。(以下略)


マスコミは、東電の家庭用電気料金の値上げ申請について、有識者による電気料金審査専門委員会での審査など手続きが手間取っているため、値上げは8月以降にずれ込むと報道していましたが、なんのことはない全ては経産省が描いたシナリオだったのです。「手間取る」のも国民の批判をかわすために、最初から仕組まれた「やらせ」にすぎなかったのです。これほど国民を愚弄した話はないでしょう。

今日の昼間のテレビ朝日「ワイドスクランブル」では、この記事を紹介した際、コメンテーターのテレビ朝日の記者が、「官僚たちが日ごろやっていることを考えると、別に驚く話ではありませんよ」としたり顔でコメントしていましたが、だったらそれを記事にしろよ、と言いたくなりました。

「ちょっと東電を批判してみせたりする」枝野経産相の”二枚舌”も同じなのでしょう。政治家たちは単に官僚に操られた腹話術の人形にすぎないのです。そして、原発再稼働&電気料金の値上げも、最初から決められた既定路線だったのでしょう。

ここで示されているのは、原発問題が”原子力ムラ”どころではない、国家の構造そのものに関わる問題であるということです。この国家の構造は、何度政界再編が行われても、どんな政党が出てきても、どんな政治家が出てきても、決して揺らぐことはないのです。それに比べれば、橋下徹大阪市長の大飯原発再稼動問題における腰砕けとみにくい弁解など、まだかわいいものです。

河本につづいてキングコングの梶原が登場した生活保護の「不正受給」問題も然りでしょう。彼らが「社会保障と税の一体改革」のスケープゴートにされたのはあきらかです。そして、これからミソもクソも一緒にした「生活保護の不正」&「見直し」キャンペーンが展開されるのだろうと思います。

もともと”生活保護叩き”はネットのお家芸のひとつでしたが、それをうまく利用されたという気がします。ネットで河本や梶原を叩いている人間たちは、所詮は国家を食い物にする既得権者たちの掌の上で踊らされているにすぎません。間違っても「ネットが現実を動かしている」のではないのです。狡猾で巧妙な”国家”に対して、彼らはなんと無邪気で無防備で単純なんだろうと思います。

フリーライターの安田浩一氏は、このような(人生が)「うまくいかない人たち」による「守られている側」への攻撃について、好著『ネットと愛国』(講談社)のなかで、ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムのつぎのような一文を紹介していました。

 普通の発展過程では金や力を獲得する機会のほとんどない何十万というプチブルが、ナチ官僚機構のメンバーとして、上層階級を強制して、その富と威信の大きな部分を分けあたえさせたということが問題であった。ナチ機構のメンバーでない他のものはユダヤ人や政敵からとりあげた仕事をあたえられた。そして残りのものについていえば、かれらはより多くのパンは獲得しなかったけれども「見世物」をあたえられた。これらのサディズム的な光景と、人間の他のものにたいする優越感をあたえるイデオロギーのもたらす感情的満足によって、かれらの生活が経済的にも文化的にも貧困になったという事実をおぎなうことができた。
(『自由からの逃走』日高六郎訳・東京創元社)


河本や梶原を攻撃しているのも、ここで言う「パンは獲得しなかったけど、『見世物』をあたえられた」人々なのかもしれません。しかも、それはネットの一部の人間たちだけの話ではないのです。安田氏は、今の経済状況のなかで、「うまくいかない人たち」の負の感情の「地下茎」が一般社会にも広がっていることを指摘していました。私が前の記事(河本準一の「問題」と荒んだ世相)で、渋谷駅で通行人を刺した「32才アルバイトの男」と、負の感情で河本を叩いている人間たちがどこか重なって見えると書いたのも、同じ理由からです。

しかし、私は彼らを全面的に否定する論理をもちあわせていません。私とて彼らとそんなに遠いところにいるわけではないからです。だから、逆に「怖いな」と思うのです。


2012.06.01 Fri l 社会・メディア l top ▲