松田聖子論

小倉千加子著『松田聖子論』(朝日文庫)を久しぶりに読み返しました。文庫のあとがきが1995年8月、単行本のあとがきが1989年1月7日ですから、もう25年前の本になります。

どうしてこの本を読み返そうと思ったのかと言えば、いわゆる首都圏連続不審死事件の木嶋佳苗被告が、中学生のとき、「松田聖子の歌も好きだけど、彼女が女性週刊誌で悪口を言われているところも好きだ」「小倉千加子さんも好きだ」と、文章に書いていたということを思い出したからです。松田聖子だけでなく小倉千加子の名前も出てくるということは、中学生の木嶋被告がこの本を読んでいた可能性があります。もしそうだとしたら、彼女の早熟ぶりには驚くばかりですが、それも『朝日ジャーナル』を定期購読していたという父親の影響があったのかもしれません。

書名は「松田聖子論」となっていますが、本で扱っているのは、松田聖子と山口百恵です。ふたりを比較するなかで、著者独自のアイドル論を展開しているのですが、今あらためて読むと、著者も若かったなと思う部分もあります。

かつての山口百恵ファンとしては、著者の山口百恵論には多少違和感がありますが、それはともかく、松田聖子論を木嶋佳苗被告の事件に重ねると、木嶋被告の心の奥底にあるものがなんとなく見えてくるような気がしました。そして、北原みのり氏をはじめ、多くの女性たちが彼女に関心を寄せた理由もわかるような気がしました。

山口百恵と違い、実人生でも「<近代家族の退屈>という温室の中で育った、芸能人としては稀有のケースに属する少女」の松田聖子は、和製ロックの伝説的なバンド「はっぴいえんど」の元メンバーである松本隆らによって、文字通り爛熟した資本主義の時代にふさわしいアイドルとして、時代の先端に躍り出たのでした。1960年代の終わりに登場し、「はっぴいえんど」から「キャラメルママ」「ティン・パン・アレー」へと推移した和製ロックは、80年代「松田聖子にたどり着いた」と著者は書いていました。そして、その本質は、「<都市>の<お金持ち>の音楽」だと。たしかに当時の時代の気分は、先行するユーミンに代表されるように、生活感が希薄な”都市”や”プチブル”でした。ただそれはあくまで「気分」だけで、現実は違っていたのです。

 日本中の女の子は、都市的リゾートを求めて、軽井沢に湘南にセブ島にフィジー島にと回遊しているのですが、それはしょせん有給休暇の範囲内であって、日常は、会社という<田舎>で周囲の眼に監視されて生活し、挙句の果ては、都市周辺部の<田舎>で新婚生活に入っていくのです。
 普通の女の子が<田舎>に苦しめられながら、つかの間の<都市>のファンタジーを楽しむという疑似解放を生きているのに対し、聖子ひとりが、日本という巨大な<田舎>で、<都市の夢>を手に入れるために、<田舎>の風圧に耐えているのです。


だから、若い女の子たちは、そういった松田聖子の「ミーハー・ラディカリズム」に魅かれたのだと言います。そして、木嶋佳苗被告のなかにも、同じように、<田舎>の風圧に耐え<都市の夢>を追いかける「ミーハー・ラディカリズム」があったように思います。

恋愛にしても然りです。著者は、恋愛は「近代の中で最後に残った不条理」だと言っていました。「人間は平等だ、男と女は対等だと言っても、ある男の前で二人の女は平等ではないし、ある男の前で、恋する女の対等が保障されるものでもないのです。つまり、、男は女の『女』という記号を愛しているのであって、個人を愛しているわけではない」のだと。

松田聖子は、そういった「恋愛とセクシュアリティの不条理」に戦いを挑み、多くの女性から支持されたのですが、一方、木嶋佳苗被告は、恋愛の「不条理」を逆手にとって、犯罪を重ねたのでした。

もっと具体的に言えば、木嶋佳苗被告が利用したのは、『松田聖子論』」から25年、日本中がファスト風土化し、都市文化に覆い尽くされてもなお、未だに残る次のような「日本の土着性」なのです。

 梅雨期のふくれ上がった畳の部屋でなくても、障子や襖が四方になくても、たとえ都心のマンションの洋室であっても、ホテルの一室であっても、男と女が二人だけでそこにいる限り、男は<田舎>になってしまうのです。
 男は<都市>の記号を背負う職業に就いていようが、インテリであろうが、年が若かろうが、そんな条件に一切関係なく、私的で閉鎖的な空間の中では、女にお茶を入れさせてしまうのです。
 生活の場の中で男と女の二者関係のモデルを親の世代にしか持ってこなかった男は、父親が母親にやっていた保守性と本音以外のふるまいようを知らないのです。ですから、「崩れそうな強がり」か、「くつろぎすぎた幼児性」の二つを交互に出して、女に弱さと母親性を求めてくるのです。


木嶋佳苗被告は、幼い頃から母親との葛藤を抱えていたそうですが、早熟で聡明な彼女が見つけたのが母親の人生に張り付いているこの「土着性」だったのではないでしょうか。そして、文字通り「ママのようなつまらない生き方」をしたくない「不機嫌な娘」になったのでしょう。それゆえに彼女の犯罪は、母親への意趣返しの意味合いもあったように思えてならないのです。

>> 木嶋佳苗 100日裁判傍聴記
2012.07.10 Tue l 芸能・スポーツ l top ▲