
九州の友人から電話があり、同級生たちの近況を聞きました。親が認知症になり施設に入っているとかいった話が多く、おれたちももうそういう年になったのかとしみじみ思いました。そして、以前「哀しい」という記事で紹介した、作家の盛田隆二さんの「子どものように泣く父」というエッセイを思い出しました。
糖尿病のために視力も弱り、既に人工透析もはじまったある同級生は、最近子供が登校拒否になり、苦悩しているそうです。しかも、彼のお母さんも認知症で施設に入っているのですが、面会に行っても息子の顔もわからず、ただ虚ろな目で一点を見つめているだけなのだとか。電話がかかってきて、「生きていてもなにもいいことなんてない。おふくろが逝ったら、おれも死にたいよ」と嘆いていたそうです。
その話を聞いて、高校生の頃、彼と海に行ったことを思い出しました。ちょうど今時分でしたが、あのときのはじけるような笑顔はもう戻ってこないのだろうか、と思いました。
私たちが出た高校は一応普通科の進学校でしたので、親たちも総じて教育熱心でした。東京の大学を受験するときも、わざわざ付き添いで来る親もいたくらいです。あの頃、親たちはみんなバイタリティにあふれ、「勉強しろ。勉強しろ」と子どもの尻を叩いていたのです。でも、もうそんな元気な親の姿はありません。
もちろん我が家とて例外ではありません。しかし、私はこうして現実から目をそむけ、逃げているだけです。
今日、用事で練馬のとある街に行きました。駅の近くを歩いていたら、線路沿いに神社があるのに気付きました。鳥居をくぐり朱色の幟旗に囲まれた参道を進むと、瀟洒な社殿がありました。あたりはひっそりとして、私以外、参拝者は誰もいませんでした。柏手を打って手を合わせていると、襟首から汗がたらりと滴っているのがわかりました。そして、なんだか泣きたくなるような気持になりました。
この年になると、ホントに神や仏がいてほしいと思いますね。たとえ<空虚>であってもです。

