最近、Googleの検索順位に大きな変動がありました。それは、好むと好まざるとに関わらず常にGoogle の検索結果に左右される運命にあるネットショップにとって、看過できない出来事でした。幸いにも当店は逃れることができましたが、なかには下位に飛ばされて存続の瀬戸際に立たされたショップもあります。
Google は、今回の変動をコードネームで「パンダアップデート」と呼んでいます。パンダアップデートは、昨年2月下旬にアメリカで導入されたのを手始めに、その後、各国に展開され、先月中旬から日本語にも適用されたのでした。Google は、パンダアップデートについて、ウェブマスター向け公式ブログでつぎのように説明していました。
たしかに、広告主の宣伝文や画像をコピペしただけのアフィリ(アフィリエイト)サイトや自動生成サイトや最近問題になっているまとめサイトなどが上位にずらりと並んでいるのは、邪魔でうざいのは事実です。以前、ブログの40%はスパム(ゴミ)だというニフティの調査もありましたが、そういったスパム(ゴミ)の掃除が必要だというのは理解できます。
ただ、一方で、それをアルゴリズムのような機械的(数学的)な評価基準だけで実施すると、矛盾が出てくるのも事実です。なかでもいちばん大きいのは、”権威”の台頭です。実際に、同じコピー(まがいの)サイトでも、個人の通販サイトはペナルティが与えられて下位に飛ばされ、メーカーの通販サイトは逆に上位にあがっているケースがありました。
ネットショップを運営している人間から、よく「仕入先にネットの話をしたら、いつの間にか仕入先が似たようなショップをはじめていた」というような話を聞きますが、小売店のサイトの繁盛ぶりを横目で見て、そのアイデアとノウハウを盗んで立ち上げたとしか思えないようなメーカーのショップなんて、モノマネとハッタリが横行するネットでは別にめずらしいことではありません。しかし、メーカーが個人の通販サイトをコピーするとどうなるかと言えば、伊勢神宮の式年遷宮と同じで、メーカーという”権威”や楽天という”権威”が作用して、コピーがオリジナルになり、オリジナルがコピーになるのです。サイトに集まるリンクの量や質を評価するGoogle のアルゴリズムだと、そういった”権威”が高い評価につながることは避けられません。
身も蓋もない言い方をすれば、弱小サイトのコピーはスパムだけど、ネームバリューのあるサイトのコピーはOKなのか、ということです。下位に飛ばされた個人の通販サイトは、どう考えても商売としては成り立たず、やがて消えていく運命にあるのは間違いないでしょう。弱肉強食と言えばそれまでですが、しかし、弱小サイトに降りかかったこの運命は、少なくとも一時期までGoogle が体現していた(と言われていた)”インターネットの精神”から逆行しているように思えてなりません。それは、民主的で自由で反中央集権的で反権威的であろうとする精神です。いわば「富はあまねく遍在する(遍在しなければならない)」という考え方です。
「ウェブ2.0」の頃、そういった”インターネットの精神”がさかんに喧伝されました。そして、”Don't be evil”というスローガンを掲げて登場したGoogle がヒーローになったのでした。私たちは、Google に”インターネットの精神”を見ていたのです。でも、今、そんなことを言うと笑われるだけでしょう。
そして、著者の山本氏は、今のネット業界について、「有象無象が数多いた街金、サラ金の世界から、少数が勝ち残って大手消費者金融へと成長していく産業の栄枯盛衰と何ら変わらない」と書いていました。
パンダアップデートも、所詮はこういったネットの秩序化・権威化・反動化に符合していると言えるのかもしれません。
Google は、今回の変動をコードネームで「パンダアップデート」と呼んでいます。パンダアップデートは、昨年2月下旬にアメリカで導入されたのを手始めに、その後、各国に展開され、先月中旬から日本語にも適用されたのでした。Google は、パンダアップデートについて、ウェブマスター向け公式ブログでつぎのように説明していました。
このアルゴリズムの変更では、低品質なサイトの掲載順位を下げ、同時に、良質なサイトの掲載順位をより適切に評価します。例えば、ユーザーにとってあまり価値のないサイト、利便性の低いサイト、他のサイトからのコピーで構成されているようなサイトの掲載順位は下がります。一方、独自の研究や報告、分析など、ユーザーにとって重要な情報を提供しているサイトの掲載順位はより適切に評価されるようになります。
たしかに、広告主の宣伝文や画像をコピペしただけのアフィリ(アフィリエイト)サイトや自動生成サイトや最近問題になっているまとめサイトなどが上位にずらりと並んでいるのは、邪魔でうざいのは事実です。以前、ブログの40%はスパム(ゴミ)だというニフティの調査もありましたが、そういったスパム(ゴミ)の掃除が必要だというのは理解できます。
ただ、一方で、それをアルゴリズムのような機械的(数学的)な評価基準だけで実施すると、矛盾が出てくるのも事実です。なかでもいちばん大きいのは、”権威”の台頭です。実際に、同じコピー(まがいの)サイトでも、個人の通販サイトはペナルティが与えられて下位に飛ばされ、メーカーの通販サイトは逆に上位にあがっているケースがありました。
ネットショップを運営している人間から、よく「仕入先にネットの話をしたら、いつの間にか仕入先が似たようなショップをはじめていた」というような話を聞きますが、小売店のサイトの繁盛ぶりを横目で見て、そのアイデアとノウハウを盗んで立ち上げたとしか思えないようなメーカーのショップなんて、モノマネとハッタリが横行するネットでは別にめずらしいことではありません。しかし、メーカーが個人の通販サイトをコピーするとどうなるかと言えば、伊勢神宮の式年遷宮と同じで、メーカーという”権威”や楽天という”権威”が作用して、コピーがオリジナルになり、オリジナルがコピーになるのです。サイトに集まるリンクの量や質を評価するGoogle のアルゴリズムだと、そういった”権威”が高い評価につながることは避けられません。
身も蓋もない言い方をすれば、弱小サイトのコピーはスパムだけど、ネームバリューのあるサイトのコピーはOKなのか、ということです。下位に飛ばされた個人の通販サイトは、どう考えても商売としては成り立たず、やがて消えていく運命にあるのは間違いないでしょう。弱肉強食と言えばそれまでですが、しかし、弱小サイトに降りかかったこの運命は、少なくとも一時期までGoogle が体現していた(と言われていた)”インターネットの精神”から逆行しているように思えてなりません。それは、民主的で自由で反中央集権的で反権威的であろうとする精神です。いわば「富はあまねく遍在する(遍在しなければならない)」という考え方です。
「ウェブ2.0」の頃、そういった”インターネットの精神”がさかんに喧伝されました。そして、”Don't be evil”というスローガンを掲げて登場したGoogle がヒーローになったのでした。私たちは、Google に”インターネットの精神”を見ていたのです。でも、今、そんなことを言うと笑われるだけでしょう。
情報技術の進展を一番享受し成長を遂げたのは、情報そのものを扱う企業群ではなく、情報を扱おうと取り組む企業に対して技術や製品を提供する企業群なのである。これはマイクロソフトなども含まれるが、要は、ゴールドラッシュが起きたとき最も儲けた者は、金を掘り出した者ではなく、金を掘り出す工具を売った者や、金を掘る者にジーンズを売った者や、金脈に人を送り込んで運賃を払われた者なのだ。
山本一郎『ネットビジネスの終わり』(PHP研究所)
そして、著者の山本氏は、今のネット業界について、「有象無象が数多いた街金、サラ金の世界から、少数が勝ち残って大手消費者金融へと成長していく産業の栄枯盛衰と何ら変わらない」と書いていました。
情報革命といわれ、誰もが居ながらにして便利で現代的な社会生活を送る技術革新でバラ色の未来図を楽観的に思い描いていたネット業界も、結果を見てみれば社会のフラット化どころか、適切な競争戦略や規制のなかった分、より露骨な資本の論理に挟まれ、従来の業界以上に強者と弱者が激烈な分裂を遂げるという悲惨な実情だけがあらわになったと言える。
パンダアップデートも、所詮はこういったネットの秩序化・権威化・反動化に符合していると言えるのかもしれません。