最近、一青窈がカバーした「時代」をよく聴いています。一青窈が「こんな時代だから」と言う「こんな時代」とは、言うまでもなく大震災と原発事故のことを指しているのですが、私は、人生の黄昏を迎えつつある自分の年齢をこの歌に重ねて聴いています。

駅前通りを歩いていたら、クリーニング店のドアに「3rd anniversary sale」という文字が貼られているのが目にとまりました。私はその店を利用したことはありませんが、それを見て、「もう3年も経ったんだ」としみじみとした気持になりました。

また、帰ってテレビをつけたら、9.11の同時多発テロを題材にした映画をやっていました。そして、「9.11から11年」というテロップが画面の下に流れていました。私は、それを見て、「もうあれから11年か」と再びしみじみとした気持になりました。

深夜、コンビニに行って、清算を済ませて出口のドアの前に立ったとき、闇夜のガラスに映った自分の顔に愕然としました。そして、思わず「おっさん・・・」と心のなかで呟いている自分がいました。

若い頃は鈍行だけど、年をとると急行になり、特急になり、そして、最後は超特急になる、と言った人がいましたが、まったくそのとおりで、時間の経つのが怖くてなりません。この先に待っているのは、藤枝静男の『悲しいだけ』のような日常なのか、そう思うと、いたたまれない気持になります。そして、矢沢永吉ではないですが、「時間よ止まれ」と叫びたくなります。

「予備がないと不安症候群」の人間は、このように必要以上に老いの到来を先取りして不安にさいなまれるのでした。

>> 「不安症候群」
2012.09.12 Wed l 日常・その他 l top ▲