
季節柄栗ご飯を食べたくなり、近所のスーパーに「栗ご飯の素」を買いに行ったときのことです。炊き込みご飯の素だとか鶏五目ご飯の素などが置いてあるコーナーに行ったのですが、肝心な栗ご飯の素だけが見当たりません。それで、近くで品出しをしていたアルバイトの少年に、「栗ご飯の素が見つからないんだけど。どこにあるの?」と尋ねました。
すると、少年はお米売り場に行って、周辺の棚を探していました。しかし、やはり見当たりません。そして、「ここにもないということは、置いてないと思いますが」と言うのです。
「エッ、置いてない? でも、今は栗の時期じゃないの?」
「はぁ、置いてないというか、売切れたんじゃないかと」
「売切れた? やはり時期だからよく売れたんだ?」
「はぁ、そうかと」
「わかった、わかった。いいですよ」
と言って、私はほかの売り場に行きました。
ところが、惣菜売り場に行ったら、通路のテーブルの上に、江崎グリコの栗ご飯の素が売っていたのです。「なあんだ、ここにあるじゃないか」と思った私は、すぐに先ほどの品出しの少年のところに行って、「あそこにあったよ」と言いました。
「はぁ、そうですか」
「また訊かれたら答えられるように、よく覚えておいたほうがいいよ」
「はぁ、わかりました」
「じゃあ、そういうことで」と私。
「このオヤジ、なんなんだ? いらぬおせっかいだよ」と思われたかもしれません。
さらに私は、その勢いを借りて、入口の横にある「総合案内」に行き、そこにいた女性店員に、「栗ご飯の素もほかのご飯の素と同じコーナーに置いておくべきじゃないかな。でないと、お客さんが見つけるのに苦労するよ」と忠言したのでした。女性店員は、「貴重なご意見ありがとうございました」と言ってましたが、心なしか私にはそれが皮肉のように聞こえなくもありませんでした。彼女も「このオヤジ、なんなんだよ? なにが栗ご飯の素だよ」と思ったかもしれません。でも、私は、栗ご飯の素に燃えていたのです。