久しぶりに葛西善蔵の小説をまとめて読みました。葛西善蔵は、私(わたくし)小説の権化のような破滅型の作家です。ただ、私小説の定番である肺病やみでお金と女にだらしがない情けなくも哀しい作品は、高等遊民の”甘え”と言われればそう言えないこともありません。
大多数の国民が、義務教育を終えると、家業を手伝うか、よそに丁稚奉公に出るかして家計を助けることを余儀なくされた貧しい時代に、ろくに働きもせず文学などというものにうつつをぬかしていたような人間は、今のニートどころではない親泣かせのろくでなしだったのでしょう。
葛西善蔵については、私小説を批判した中村光夫のつぎのような文章があまりに有名です。
私は、葛西善蔵の小説を考えるとき、昔聞いた知り合いのお母さんの話を思い出さないわけにはいきません。結婚して数日経ったとき、突然、アパートにやってきた義理のお姉さんから、布団を返してほしいと言われたそうです。聞けば、布団を買うお金もなかった新婚の夫は、結婚するに当たってお姉さんに布団を借りていたのだとか。お母さんは、なにかにつけその話をして、「あたしゃ情けないったらなかったよ」と子供たちに言っていたそうです。
この国でもついこの前までそんな話があったのです。そして、私小説でお決まりの病気と貧乏と女の三重苦(三題話)を理解するには、そういった時代的な背景(共通体験)が必要な気がします。しかし、彼らの頃と違って、私たちの生の前提になる社会のあり様は根本的に変わったのです。経済がグローバル化し、クレジットカードでなんでも買えて、インターネットでなんでも疑似体験ができる21世紀のこの時代に、もうそんな時代背景や共通体験を求めるのは無理があるでしょう。
親の世代なら、葛西善蔵の小説に自分の人生を映すことができたかもしれません。でも、子どもたちの世代は理解の外でしょう。子どもたちから見れば、葛西善蔵のような私小説の作家たちの作品が、わざとらしくアナクロに見えるのも当然と言えば当然かもしれません。
今回読んだなかで私がいちばん印象に残ったのは、「蠢く者」です。
葛西善蔵は一時期、妻子を青森の実家に帰し、ひとりで北鎌倉の建長寺の敷地内にあるお寺に間借りして住んでいたのですが、関東大震災を機に東京に転居します。ところが、間借りしていた間、食事の世話を頼んでいた参道の茶店に代金が未払いのままでした。そのため、茶店の娘・おせいが代金の取り立てのために上京するのですが、ミイラ取りがミイラになり、そのまま葛西の下宿で同棲をはじめるのでした。(挙句の果てには、「蠢く者」には書いていませんが、おせいを妻に紹介して騒動になったり、おせいが葛西の子を死産したりというオチまであります)。
「蠢く者」は、そんなおせいとの同棲生活の、夜になると酔っぱらった勢いで罵倒し、ときに暴力までふるうようなドロドロした日常を、主人公が散歩しながら思い出しては自己嫌悪に陥るという話です。私小説の場合、ふしだらなことやだらしないことや身勝手なことをしても、あとで必ず自己嫌悪に陥るというのがミソなのです。
誤解をおそれずに言えば、現代のDVに比べると、「蠢く者」はなんと牧歌的なんだろうと思います。現代のDVは、メンヘラの要素が強くそれこそ出口も入口もない感じで、しかも倒錯した愛すらあります。「蠢く者」の悲惨さどころではないのです。「蠢く者」の頃には、まだ人はこうあるべきという倫理が残っていたのです。だから、あのように悩むことができたのでしょう。そう考えると、私小説の作家たちはいかにも人生と格闘しているように見えるけど、実は八百長試合をやっていただけだと言う中村光夫の批判も、今になればわかる気がするのでした。
大多数の国民が、義務教育を終えると、家業を手伝うか、よそに丁稚奉公に出るかして家計を助けることを余儀なくされた貧しい時代に、ろくに働きもせず文学などというものにうつつをぬかしていたような人間は、今のニートどころではない親泣かせのろくでなしだったのでしょう。
葛西善蔵については、私小説を批判した中村光夫のつぎのような文章があまりに有名です。
たとえば葛西善蔵のやうな芸術への無垢な献身に生きたと一般に信じられてゐる作家も、自分自身に対して芝居気がなかったとはおそらく言い切れないので、(中略)自分の実生活の破綻を、その表現で救へるといふ信念に、一種の安心感をもってよりかかつてゐられたからこそ、彼はあのやうな愚劣な悲惨にかなり平気で堪へて行けたので、生活より芸術を信じるといふことは、彼の場合私小説の世界に演技者として住むのを意味したのです。
(「モデル小説」)
私は、葛西善蔵の小説を考えるとき、昔聞いた知り合いのお母さんの話を思い出さないわけにはいきません。結婚して数日経ったとき、突然、アパートにやってきた義理のお姉さんから、布団を返してほしいと言われたそうです。聞けば、布団を買うお金もなかった新婚の夫は、結婚するに当たってお姉さんに布団を借りていたのだとか。お母さんは、なにかにつけその話をして、「あたしゃ情けないったらなかったよ」と子供たちに言っていたそうです。
この国でもついこの前までそんな話があったのです。そして、私小説でお決まりの病気と貧乏と女の三重苦(三題話)を理解するには、そういった時代的な背景(共通体験)が必要な気がします。しかし、彼らの頃と違って、私たちの生の前提になる社会のあり様は根本的に変わったのです。経済がグローバル化し、クレジットカードでなんでも買えて、インターネットでなんでも疑似体験ができる21世紀のこの時代に、もうそんな時代背景や共通体験を求めるのは無理があるでしょう。
親の世代なら、葛西善蔵の小説に自分の人生を映すことができたかもしれません。でも、子どもたちの世代は理解の外でしょう。子どもたちから見れば、葛西善蔵のような私小説の作家たちの作品が、わざとらしくアナクロに見えるのも当然と言えば当然かもしれません。
今回読んだなかで私がいちばん印象に残ったのは、「蠢く者」です。
葛西善蔵は一時期、妻子を青森の実家に帰し、ひとりで北鎌倉の建長寺の敷地内にあるお寺に間借りして住んでいたのですが、関東大震災を機に東京に転居します。ところが、間借りしていた間、食事の世話を頼んでいた参道の茶店に代金が未払いのままでした。そのため、茶店の娘・おせいが代金の取り立てのために上京するのですが、ミイラ取りがミイラになり、そのまま葛西の下宿で同棲をはじめるのでした。(挙句の果てには、「蠢く者」には書いていませんが、おせいを妻に紹介して騒動になったり、おせいが葛西の子を死産したりというオチまであります)。
「蠢く者」は、そんなおせいとの同棲生活の、夜になると酔っぱらった勢いで罵倒し、ときに暴力までふるうようなドロドロした日常を、主人公が散歩しながら思い出しては自己嫌悪に陥るという話です。私小説の場合、ふしだらなことやだらしないことや身勝手なことをしても、あとで必ず自己嫌悪に陥るというのがミソなのです。
誤解をおそれずに言えば、現代のDVに比べると、「蠢く者」はなんと牧歌的なんだろうと思います。現代のDVは、メンヘラの要素が強くそれこそ出口も入口もない感じで、しかも倒錯した愛すらあります。「蠢く者」の悲惨さどころではないのです。「蠢く者」の頃には、まだ人はこうあるべきという倫理が残っていたのです。だから、あのように悩むことができたのでしょう。そう考えると、私小説の作家たちはいかにも人生と格闘しているように見えるけど、実は八百長試合をやっていただけだと言う中村光夫の批判も、今になればわかる気がするのでした。