先日、電車に大きなスポーツバッグを手にした60代後半くらいの男性が数人乗ってきました。どうやら工事現場の警備員かなにかガテン系の仕事をしているらしく、その仕事帰りのようでした。そして、次のような会話が耳に飛び込んできました。

「寒くなったなぁ」
「メリヤスのシャツを二枚着ているけど、それでも寒いもんな」

メリヤス?

ああ、なんとなつかしい言葉でしょう。私は、思わず発言主の男性の手を取って、「感動しました」と言いたいくらいでした。

私のなかにはこのように多くの死語がいまだに残っています。

若い頃、彼女がデートの待ち合わせに遅れてやってきたことがありました。

「ごめん、パンツが汚れていたのに気付いたので、途中で家に引き返してはきかえてきたの」

パンツ?

私は、よからぬ妄想を抱いてちょっと興奮したものです。

中学生になると、田舎の子供でもやはりおしゃれに興味をもつようになり、それまでのデカパン(でかいパンツ)ではなく、今で言う男性用のショーツを買ってくれるように母親に頼みました。すると、母親は、「エッ、男のくせにパンティがいいんだ?」と鼻で笑っていましたが、その際、パンティの「ィ」を大文字のように発音するのでした。

ジーンズに至っては、今でも「ジーパン」です。ジーンズだなんてカッコつけやがってと思うのです。コーデュロイという言い方もいまだに違和感があります。さすがに「コール天」とは言いませんが、コーデュロイと発音するとき、ときどき噛むことがあります。

食べ物屋で「スプーンありますか?」と言ったとき、一瞬頭のなかに「匙」ということばが浮んだことがありました。ちなみに、父親は、上京して新宿のレストランで食事した際、実際に「すんません、匙ありますか?」と言ったのです。それも大声で。

「ベッピン(別嬪)」さんは今でも普通に使っています。知り合いの家に行ったとき、娘さんを見て、「ベッピンさんですねぇ」と言ったら、篠田麻里子のような娘はニコリともせず、憐れむような目で私を見ると、そそくさと二階にあがって行ったのでした。

こうして考えると、老けるのは当然ですね。
2012.11.27 Tue l 日常・その他 l top ▲