中村勘三郎さんの葬儀には1万2千人が参列して別れを惜しんだそうです。また、平成中村座の公演を行ったゆかりの地・浅草では、三社祭りのお神輿が出て、葬列を見送ったのだとか。

葬儀の会場では、家族と旅行した際のプライベート映像も流れていたそうですが、そう言えば、数日前に特番で放送されたドキュメンタリー番組でも、湯布院に旅行したシーンが出ていました。

歌舞伎という伝統芸の継承を義務づけられた梨園の御曹司たちも、それはそれで苦悩はあるのかもしれませんが、しかし、生まれついて仕事は保障されているし、生活の心配もないし、プライベートではおもしろおかしく生きることも可能で、はたからみるとうらやましくもあります。

元来、歌舞伎者というのは、「河原乞食」と蔑まれ、天下の往来では編笠をかぶって歩かなければならないような被差別の存在でした。住居も、一般庶民から「暗所」とみられていたようなマージナルな区域に限られていました。でも、今はまったく逆に、梨園はセレブの代名詞のようになっています。

一方で、誰にも看取られることもなく、郊外の福祉専門のような病院でひっそりと息をひきとる老人たちもいます。もちろん、葬儀なんて望むべくもありません。

病院に入院して、もう二度と娑婆に戻ることが叶わないとわかれば、アパートも解約され、そのあとは福祉専門の病院を転々としながら死を待つことになるそうです。

「亡くなったとき、持ち物が紙袋や段ボール箱がひとつかふたつしかないケースが多く、それをみるとよけい悲しくなりますよ」と言っていた医療関係者がいました。故人が眠るベットの横に、全財産が入った紙袋や段ボール箱がぽつんと置かれた病室を想像すると、なんと悲しい光景なんだろうと思います。1万2千人のなかでひとりでもいいから、涙を流してくれる人はいないのかと思います。

築地本願寺で盛大に葬儀が執り行われる梨園の御曹司でも、段ボール箱ひとつを残して亡くなっていく老人でも、同じ日本人です。日本を愛するというのは、みんな同じ日本人じゃないかという気持を共有することではないでしょうか。

新しい政権が言う「日本」や、ネットで飛び交っている「日本」には、福祉専門の病院で人知れず亡くなっていく老人たちは入ってないかのようです。それどころか、そういった老人たちのために使われる医療費は「無駄金」みたいな考えすらあるように思えてなりません。

どうしてこんなに冷たい国になったんだろうと思います。しかも、「愛国」の声が大きくなればなるほど、冷たい国になっていくような気がしてならないのです。
2012.12.28 Fri l 芸能・スポーツ l top ▲