一昨日、第148回芥川賞の発表があり、史上最年長75才の黒田夏子氏の「abさんご」が受賞しました。

実は、私は「abさんご」が掲載された『早稲田文学』(5号)は買っていたものの、「abさんご」はまだ読んでいませんでした(正直言って、読むのがちょっとしんどかったのであとまわしにしていました)。「abさんご」は、第24回早稲田文学新人賞の受賞作でもあるのですが、選考委員の蓮實重彦氏は、この作品について、「選評」でつぎのように書いていました。

「固有名詞」やそれを受ける「代名詞」をいっさい使わずに、日本語で何が書け、何が語れるか。「個性」的な黒田夏子が直面するのは、おそらくこれまでいかなる作家も見すえることのなかった言語的な現実である。


早稲田文学新人賞の選考委員は蓮實氏ひとりだけですから、言い方はよくないですが、蓮實氏の独断と偏見で選んだという面もなきにしもあらずです。ましてこういった”実験小説”が芥川賞を受賞したこと自体、驚きですし異例です。

もしかしたら75才で受賞という話題性を狙ったのではないかとうがった見方もしたくなります。作家は忖度が得意なので、選考委員たちはそういった勧進元(文藝春秋社)の意向を忖度したのかもしれません。

でも、(作品そのものはまだ読んでいませんのでなんとも言えませんが)文学は若者だけのものではないはずです。文学表現の根源にある”生きる哀しみ”は、むしろ死を前にした老人のなかにこそあるとも言えます。あざといだけの若者の文学にうんざりしているのは、私だけではないでしょう。もっと老人が小説を書くべきです。

今回の受賞をきっかけに、”老人文学”が花開けば、それはそれで意義があるのではないでしょうか。
2013.01.18 Fri l 本・文芸 l top ▲