
第11回・R-18文学賞を受賞した深沢潮の『ハンサラン 愛する人びと』(新潮社)を読みました。R-18文学賞というのは、新潮社が主催する公募新人賞で、応募された作品の下読みも女性編集者が行い、選考委員も女性作家の三浦しをん氏と辻村深月氏がつとめる「女性による女性のための」文学賞です。
『ハンサラン 愛する人びと』は、受賞作の「金江のおばさん」と書きおろしの5編からなる連作小説です。この作品で描かれているのは、若い在日の視点から見た現代の在日社会のリアルな日常です。
「金江のおばさん」というのは、在日同士の縁を取り持つ有名な”お見合いおばさん”です。私も昔、在日の知り合いから”お見合いおばさん”の存在を聞いたことがあります。その背景には、子どもに対しても同胞との結婚を望む親たちの意向があるからですが、ただそれだけではありません。この小説でも描かれていますが、結婚においても、百済・新羅の時代から連綿とつづく家系や出身地(いわゆる「本貫」)にこだわる意識が古い朝鮮人の間に未だに残っているからです。もっとも在日だからよけい、そういった意識にこだわるという側面もあるようです。
一方、”お見合いおばさん”も、ただ単にボランティアで男女の縁を取り持っているわけではありません。紹介料や結婚に至った際の礼金、さらにはお見合いや結婚式に利用するホテルや衣装を作る店などからバックマージンを得て、それを生活の糧にしているのです。しかし、その金江のおばさんにも北朝鮮に帰還し音信不通になった息子がいて、ここにも「かぞくのくに」と同じように、祖国が独裁国家であった悲劇が影を落としているのでした。
招待された結婚式で、朝鮮総連の婦人会の女性たちに促されて踊りの輪に加わりながら、おばさんは北朝鮮にいる息子(光一)を思い、こう自分に言い聞かせるのでした。
民団も総連もなんだっていい。韓国だろうが北朝鮮だろうがどうだっていい。命があるうちは、同胞の縁を繋ぎ続けるしかない。そして、光一との縁をかろじて繋ぐのだ。
受賞作の「金江のおばさん」以外に私が好きなのは、「ブルー・ライト・ヨコハマ」です。
高校生の美緒は、日本の学校に通っていますが、学校では自分が韓国人であることをカミングアウトしていません。でもK-POPが好きで、特に少女時代の大ファンです。しかし、キムチはその臭いからして嫌いな今どきの若い在日です。
”お見合いおばさん”に紹介されたアジェ(叔父さん)の再婚相手が決まったことで、アジェと二人暮らしだったハルベ(お爺さん)を美緒の家で引き取ることになりました。ハルベは80歳をすぎ、既に認知症がはじまっていました。在日一世のハルベと生活をともにすることで、美緒は否応なく自分のルーツを意識させられるようになるのでした。でもそれは美緒にとって「あまり向き合いたくない事実」でした。
Kポップ、この韓国はいいんだよ。だけど、ハルベにかかわる韓国は、好きじゃないんだよ。
つまり、うちに臭う韓国と、少女時代の体現する韓国は別のもの。
美緒の中では相いれない。
孫(美緒)と自分の娘(美緒の母親)の見分けもつかないほど、ハルベの認知症はかなり進行していましたが、なぜかいつもハルベは「ブルー・ライト・ヨコハマ」を口ずさんでいるのでした。どうして「ブルー・ライト・ヨコハマ」なのか。美緒は、ネットで「ブルー・ライト・ヨコハマ」に関する事柄を調べてみました。すると、軍事政権下で禁止されていたこのいしだあゆみの歌が、釜山ではひそかに海賊版が出回るほど好んで歌われていたことがわかりました。ハルベのたったひとりの妹のユンヤも釜山に住んでいたのです。つまり、妹の死に目にもあえなかったハルベの、妹を追憶する気持がこの歌に込められていたのでした。
結局、ハルベは千葉の養護老人ホームに入所することになったのですが、その前に、最後の思い出を作るために家族で横浜に日帰り旅行に出かけることになりました。横浜は一度だけユンヤが来日した際に一緒に訪れた、ハルベにとって思い出の地です。
そのなかで、ランドマークタワーの展望台に立った一家が、夕暮れの横浜の街を見下ろしながら、美緒の弟の浩太が歌う「ブルー・ライト・ヨコハマ」に耳を傾けるシーンが印象的でした。4歳の浩太は、ハルベがいつも口ずさんでいるので、いつの間にか「ブルー・ライト・ヨコハマ」を覚えたのですが、そのときこっそりと浩太に歌うように美緒がけしかけたのでした。
浩太の歌声は大きかった。周りの人が、なにごとかとこっちを見る。ゴールデンウィークなので、展望台には多くの人がいて、浩太は注目の的だった。当然浩太と手を繋いでいる美緒も目立っていた。美緒にとっては耐え難い視線の数々だったが、このひとときは我慢しようと頑張ってみる。
両親もアジェも、最初は急に歌いだした浩太に目を丸くしたが、すぐに笑みを浮かべて、小さく拍手をした。
ハルベは思いつめた顔をしてじっと浩太の歌声に耳を傾けていた。自分は最後まで歌わずに、リズムを顎でとりながら。
浩太が歌い終わると、ハルベは、わずかに微笑んだように見えた。
人はさまざまな境遇のもとに生まれます。そして、その境遇がもたらす喜びや哀しみのなかから文学(のことば)が生まれるのです。だから私たちは、日本人とか朝鮮人・韓国人とかいった枠を越えて共感することができるのです。小説としては拙い部分もありますが、在日という境遇のもとに生まれた人々の人生の力強さとその裏にある生きる哀しみを描いた、人間味のあふれたとても共感できる作品だと思いました。