ハピネス


桐野夏生の『ハピネス』(光文社)を読みました。

この小説の主人公は、江東区の埋め立て地に建つベイタワーズマンション(通称BT)という高層マンションの29階に住む主婦・岩見有紗です。有紗は3歳になったばかりの娘・花奈とふたり暮らしで、夫はアメリカに単身赴任しています。

人もうらやむようなタワーマンションの生活。しかし、そのなかにも勝ち組・負け組の”カースト”が存在するのでした。

BTは、ベイウエスト・タワー(BWT)とベイイースト・タワー(BET)の2棟から成るのですが、BWTとBETとでは暗黙の差異が存在します。また、下層か高層か、分譲か賃貸かも、差異化のための重要な要素です。

BETの賃貸に住む有紗は、のっぴきならない家庭の事情もあって、いつも引け目を感じながらママ友たちと付き合いをつづけています。

日頃から、あの人はBWT高層グループとか、BET賃貸組、などといろいろ小さな差異を問題にしているのだろうと想像すると不快だった。差異のあげつらいは、住まいから始まって、いずれ幼稚園の選択、そして小学校受験の可否にかかっていくのだろう。有紗は溜息が出そうだった。憧れのタワマンに住めたのに、すでに自分は負け組なのだ。


タワマンではバルコニーに物を出さないという決まりがあるのですが、うっかりしてバルコニーに置いたままにしていた花奈のシャベルが強風に吹き飛ばされてしまったことに気付いた有紗は、激しく動揺します。「どこかの部屋のバルコニーにでも落下していたら大問題になる」からです。しかも、シャベルには花奈の名前が書いているのです。

そして、案の定、数日後、つぎのような手紙とともに、レジ袋に入れられたシャベルがドアノブにかけられていたのでした。

「このシャベルは、数日前の強風の朝、私の家のバルコニーのガラスを直撃しました。
幸い、何ごともありませんでしたが、私は驚いて目を覚ましました。
上階からの落下物はとても危険です。
くれぐれも規則を守り、だらしのない生活はおやめください。
隣人より」


「だらしのない生活」ということばに、有紗はひどくショックを受けます。それは今の宙ぶらりんな生活を非難されているような気がするからです。実は、有紗には離婚歴があり、子どももいたのですが、そのことを言えないまま、今の夫と「できちゃった婚」したのでした。そして、それが原因で、夫婦間に亀裂が生じ、1年前に一方的に離婚を告げるメールが届いたきり、夫との連絡も途絶えているのでした。

常に後ろを振り返っては、誰かが自分の背に指を突き立てていないか、確かめでばかりいるのはどうしてだろう。誰かに非難されることを、殊の外、怖がっている自分。「だらしのない生活」という手紙の語句は、まさしく有紗の脆い心を直撃しているのだった。


しかし、小説の終盤になると、有紗をとりまく状況が変化していきます。有紗の心をおおっていた疑心暗鬼も徐々に氷解し、その多くが有紗の思いすごしだったことがわかったのでした。

「だらしのない生活」と自分を指弾した階下の「隣人」からも、「あんなことして後悔しています」と乗り合わせたエレベーターのなかで謝罪されます。引け目を感じていたママ友たちも、有紗と同じように「秘密」を抱え苦しんでいることがわかりました。ひとり娘の花奈を奪おうと画策しているのではないかと疑っていた義父母も、ただ息子夫婦の行く末を案じているだけだったことがわかりました。そして、なにより夫の俊平も離婚を望んでないことがわかったのでした。

母であることの孤独という点では、以前感想を書いた金原ひとみの『マザーズ』と共通するものがあります。不倫がからむという点でもよく似ています。でも、個人的にはこの『ハピネス』のほうが感情移入するものがありました。『マザーズ』の感想とは矛盾しますが、主人公の有紗に対しては、夫婦関係が修復して幸せになればいいなと切に思いました。それは一度失敗して傷ついた心に、同じことをくり返してほしくないという気持があるからです。

なかでも、ときどきかかってくる無言電話が、3才のときに別れたきりになっている息子・雄大からではないかと思った有紗が、ママ友と一緒に故郷の新潟に雄大に会いに行った際、前夫の鉄哉と対面するつぎのようなシーンでは、個人的な体験とオーバーラップしてこみあげてくるものがありました。無言電話は雄大からではなく、結婚生活がうまくいってない前妻を心配した鉄哉からだったのです。

 「有紗が東京で幸せに暮らしてるって聞いて、俺、本当に嬉しかった。だから、今心配していた。早く解決して、幸せになってくれよ。そして、いつまでも元気で暮らしてください。雄大のお母さんなんだから。」
 鉄哉の目に光ったのは涙だった。七年前、「お前は、我儘過ぎる」と血相を変えて、自分を殴った男が今、泣いている。雄大の実母の不幸せは、幸せな鉄哉一家にとって不安の種なのかもしれない。
 「ありがとう。じゃあ、そろそろ帰るね」
 タクシーに戻ろうとすると、手の中に紙袋を渡された。
 「うちの『ル・レクチエ』だよ。洋梨。ふた箱あるからお友達に」


この本の帯に、「結婚は打算から始まり、見栄の衣をまとった。」という惹句がありましたが、「打算」や「見栄」であっても、あるいは人に知られたくない”過去”を抱えていても、幸せはあるはずです。「みんな必死だったんだなと思った」という有紗のセリフがありますが、タワマンに住んでいるかどうかなんて関係なく、みんな必死に生きているのです。「隘路でも道は道」なのです。その道を辿って行けば、幸せはあるし和解もあるはずです。この小説の結末が”平板”なのも、そこに人生の真実があるからでしょう。ありきたりな言い方ですが、そう思いました。

>> 金原ひとみ『マザーズ』
2013.04.10 Wed l 本・文芸 l top ▲