昨日、俳優の三國連太郎が亡くなったというニュースがありました。

もちろん、私ははるかにあとの世代(というか子どもの世代)ですので、私が三國連太郎の映画を同時代的に観たのは、足尾鉱毒事件を扱った「襤褸の旗」(吉村公三郎監督)が初めてでした。それ以来、田中正造翁の「辛酸亦佳境に入る」ということばが私の座右の銘になったのでした。

また、そのあと名画座で観た「戒厳令」(吉田喜重監督)での北一輝役の彼の凛としたたたずまいも印象に残っています。ちょうどその頃、松本健一氏の『北一輝論』を読んだばかりだったので、その北一輝のイメージと彼が演じる北一輝のイメージが重なって見えたことを覚えています。

ただ、私にとって三國連太郎は、やはり親鸞思想の研究家としてのイメージのほうが強くあります。そういった顔をとおして、私は、俳優・三國連太郎にずっと興味を持っていました。

三國連太郎は、死に際して、「戒名はいらない」「骨は散骨してくれ」と言ったそうですが、もしかしたら「葬式も必要ない」と言っていたのかもしれません。実際に、娘さんだったか誰だったかが亡くなったとき、葬儀なんてどうでもいいと言って葬式に出なかったとかいった話を聞いた記憶があります。

今手元に2009年、三國連太郎が86才のときにNHK教育テレビに出演して、インタビューを受けたときのテキスト(『NHK 知るを楽しむ「人生の歩き方」・三國連太郎 虚と実を生きる』日本放送出版協会)があるのですが、そのなかで彼は、鎌倉仏教についてつぎのように語っていました。

調べれば調べるほど、考えれば考えるほど、日本の仏教というものには大きな落とし穴があるようで、今の日本の仏教の中心になっているのは鎌倉期に発生した宗派ですが、そのお寺の存在とか、葬式仏教とか、功徳の話とか、何となくみんな嘘っぽく感じちゃったわけなのです。(略)
 本当は親鸞さんも、日蓮さんも、道元さんも含めて、乱暴な言い方ですが、つまり鎌倉仏教の祖師さんたちは、民衆という一切の人々を救いたい、なんとかしたいと思って、天台仏教や真言仏教を抜け出て新しい教えを開いたのじゃないか。


そして、そんな仏教観のもとに生まれたのが、ご自身が監督をして制作した「白い道」でした。彼は、この映画が三國連太郎という役者をもう一度再構築させてくれたと言ってました。

また、三國連太郎は、家でもなんでも所有という普通の考えが自分にはできない、本来借り物であるものを所有することは、人間として冒涜的なことではないか、と言ってましたが、彼が主演した「ひかりごけ」(熊井啓監督)の原作者の武田泰淳氏も同じように、物にこだることは恥とすべしと言ってました。こういった考えの根底にあるのは、言うまでもなく仏教思想です。私生活では息子の佐藤浩市と確執があったとか言われていますが、私は、その奔放な生き方にも、どこかに仏教的(親鸞的)なものを感じてなりませんでした。

(略)僕はダメな人間ですけれども、今まで真剣に生きてきたし、これからも真剣に生き抜いていこうと思っています。生意気な言い方かもしれませんが、よくぞこの人生を生き抜いてきたと、自分で思えるような最期にしたいのです。


NHKのインタビューの最後に三國連太郎はそう言ってましたが、彼に限らず、死に際して皆ホントに立派です。どんな人生であれ「生き抜いてきた」というだけでもすごいことなのです。本来仏教が言わんとすることも、葬式とか戒名ではなく、そういうことではないでしょうか。
2013.04.16 Tue l 訃報・死 l top ▲