最近、高校のクラス会の案内状がたてつづけに届きました。どうして「たてつづけ」なのかと言えば、東京の同窓会と九州の地元の同窓会の両方から案内状が届いたからです。
私が出た高校には、結構しっかりした同窓会が各地にあるのですが、現在、東京の同窓会も、地元の同窓会も、いづれも「会長」(世話人)は私の同級生がやっているようです。それくらい私たちも年を取ったということでしょう。
東京の同窓会のサイトには、新しい会長による挨拶が写真付きでアップされていました。それを見た私は、一瞬「このハゲたおっさんは誰?」と思いました。名前はたしかにかつてのクラスメートです。でも、まるで古参の区議会議員のような風格の写真と名前がどうしても一致しないのです。
高校を卒業してから彼とは一度も会っていません。たしか私が受験で上京するとき、駅に見送りに来てくれたように記憶していますが、それが最後でした。以後、同じ東京にいながら、一度も会ってないのです。以前は仕事でしょっちゅう新宿にある彼の職場の前を通っていましたが、それでも職場に寄って声をかけることもありませんでした。
なにか彼に会いたくない事情があったわけでもないのです。ただめんどうだっただけです。私は変わったところがあって、旧交を温めるというような人間関係が好きではないというか、どうも苦手なのです(そのくせいつまでも過去に拘泥しているところがありますが)。
東京のクラス会の案内状には、前回行われたクラス会の記念写真が同封されていました。でも、そこに写っていた中年のおっさんやおばさんたちに、ひとりとして昔の面影を見つけることはできませんでした。名簿を見ると、東横線沿線にも何人か住んでいますので、どこかですれ違ったことがあるかもしれません。でもこれじゃわかるわけないなと思いました。
ただ、勝手な話ですが、一度も出席してないのにこうして忘れられずに案内状が届くことに対して、最近はちょっとありがたいなと思うこともあります。槇原敬之の「遠く遠く」ではないですが(でもあのようなリリカルな気持をもつにはあまりに年を取りすぎていますが)、今年はせめて欠席のハガキくらいは出そうかなと思いました。
私が出た高校には、結構しっかりした同窓会が各地にあるのですが、現在、東京の同窓会も、地元の同窓会も、いづれも「会長」(世話人)は私の同級生がやっているようです。それくらい私たちも年を取ったということでしょう。
東京の同窓会のサイトには、新しい会長による挨拶が写真付きでアップされていました。それを見た私は、一瞬「このハゲたおっさんは誰?」と思いました。名前はたしかにかつてのクラスメートです。でも、まるで古参の区議会議員のような風格の写真と名前がどうしても一致しないのです。
高校を卒業してから彼とは一度も会っていません。たしか私が受験で上京するとき、駅に見送りに来てくれたように記憶していますが、それが最後でした。以後、同じ東京にいながら、一度も会ってないのです。以前は仕事でしょっちゅう新宿にある彼の職場の前を通っていましたが、それでも職場に寄って声をかけることもありませんでした。
なにか彼に会いたくない事情があったわけでもないのです。ただめんどうだっただけです。私は変わったところがあって、旧交を温めるというような人間関係が好きではないというか、どうも苦手なのです(そのくせいつまでも過去に拘泥しているところがありますが)。
東京のクラス会の案内状には、前回行われたクラス会の記念写真が同封されていました。でも、そこに写っていた中年のおっさんやおばさんたちに、ひとりとして昔の面影を見つけることはできませんでした。名簿を見ると、東横線沿線にも何人か住んでいますので、どこかですれ違ったことがあるかもしれません。でもこれじゃわかるわけないなと思いました。
ただ、勝手な話ですが、一度も出席してないのにこうして忘れられずに案内状が届くことに対して、最近はちょっとありがたいなと思うこともあります。槇原敬之の「遠く遠く」ではないですが(でもあのようなリリカルな気持をもつにはあまりに年を取りすぎていますが)、今年はせめて欠席のハガキくらいは出そうかなと思いました。