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午後から用事で新横浜に行ったついでに、新横浜~小机を歩いたあと、小机から桜木町までJR横浜線で移動して、さらに桜木町駅~汽車道~赤レンガ~象の鼻パーク~山下公園~みなとみらいを歩きました。

家を出る前、テレビ東京のMプラス11というニュース番組を観ていたら、アベノミクスの広告塔のようなテレビ東京にしてはめずらしく、最近の株式市場の動きは投機的な色彩を帯びているというような解説をしていたので、「あれっ」と思いました。その時点では日経平均はまだ35円高でしたが、今のような株高でもトレーダーはあまり儲かってないと言うのです。と言うのも、今の株高は日経先物などのデリバティブ取引によるところが大きく、そのため売買が日経平均株価に採用されている225社に偏りすぎている(全体的には値下がり銘柄が多いのに平均株価は値上がりしている)からだそうです。

実際にアベノミクスなんて言っても、ほとんどおまじないみたいなもので、まだなにもはじまってないのです。むしろ円安によって輸入価格が上がっているという負の側面が出ているくらいです。にもかかわらず、マスコミはアベノミクスのおかげで高額商品が飛ぶように売れていると書き、日経平均株価も安倍政権が誕生してからわずか5カ月で1.8倍も上昇したのです。

これを「異常」と思わないほうがおかしいのです。書店に行くと、アベノミクスで強い日本が帰ってくる式の礼讃本のオンパレードですが、そのなかにわずかながらアベノミクスに懐疑的な本もあります。しかもよく見ると、棚に面出ししている(表紙を見せるように横置きに並べられている)本のなかで、懐疑的な本のほうがあきらかに減っている(売れている)のです。つまり、それだけ急激な円安・株高をもたらしている今の状況が「異常」だと思っている人も多いということなのでしょう。それは真っ当な感覚のように思います。

象の鼻パークの突堤で堤防の上に座わり、しばらくボッーとしていました。海から吹いてくる風がとても心地よかったです。こうして海の近くにいると、大桟橋から出港する船が鳴らす汽笛の音が、海風に乗って遠くのほうに流れていくのがわかりました。

『安井かずみがいた時代』のなかに、安井かずみが山下公園の岸壁に座っている写真があり、渡辺プロ創業者の渡邊美佐(安井かずみと同じ横浜出身)は、本のなかで、あの写真がいちばん好きだと言ってましたが、四方に広がる海辺の風景を眺めていたら、ふとその写真のことを思い出しました。

それから何気にスマートフォンでニュースをチェックしたら、そんな午後の物憂い気分を吹き飛ばすように、「日経平均1143円暴落」という見出しが目に飛び込んできたのです。そして、家を出る前に観たテレビ東京のニュースのことを思い出したのでした。

そんなに都合よく円安をコントロールし、円安のメリットだけを享受できるのか。1千兆円近くにまで膨張した公債残高(国の借金)をどうするのか。ましてただ輪転機で日銀券を増刷するだけのような金融政策でホントに景気がよくなり、安倍首相が言うように「強い日本」が復活するのか。素人考えでも疑問は尽きません。

世界の金融市場に流れているお金は、私たちが働いて稼ぎ生活のために消費するお金の総額、つまり実体経済(GDP)の24倍だと言われます。そんな巨額のマネーが、私たちの日常とはかけ離れたところで日々飛び回り、株や為替などのマネーゲームを繰り広げているのです。しかも、そのマネーは、パソコンのテンキーで打ちこまれるだけのバーチャルなお金です。

今の円安・株高でアベノミクスを礼讃するマスコミの姿勢は、橋下氏の慰安婦発言と同じで、実体経済とファイナンス(バーチャルなマネーゲーム)を都合よく接合する詭弁のようにしか思えません。円安に誘導し、それによって株高を演出する今の金融政策は、どう見ても、「劇薬」どころかいちかばちかの「大博打」のようにしか思えません。「成長戦略が実現しないと、失望して再び円高・株安に戻る懸念がある」と新聞が書いていましたが、考えてみれば、失望すると円高になるというのもおかしな話なのです。

先日も顔見知りのネトウヨが、「アベノミクスで景気がよくなりますよ。バブルが来たほうがチャンスがありますよ」と言ってました。ネトウヨにとって安倍首相はヒーローですからそう言いたい気持はわからないでもないですが、でも彼はやがて40になろうかという万年フリーターです。国民年金は未加入で、健康保険証も持っているフシはありません。もし病気になって働けなくなったら、生活保護を受けるしかないのです。しかし、彼はネトウヨですから、”ナマポ叩き”もことのほか熱心です。

「でも、あなたのようなフリーターには関係ないんじゃないの。むしろ円安で物価が上がり、さらに消費税も上がれば、実質賃金は目減りするので、生活は苦しくなるだけだ。百歩譲って景気がよくなったとしても、あなたと同じような非正規雇用の社員が増えるだけで、あなたが正社員に登用されて生活が劇的によくなることはまずあり得ないよ」と言ったら、黙ってしまいました。

ただ、新橋や丸の内のサラリーマンたちへのインタビューを聞いても、言っていることはこのネトウヨのフリーターと五十歩百歩なのです。それがこの国の現実なのです。

TPP参加に見られるように、アベノミクスが小泉構造改革と同じ新自由主義的な流れのなかにあるのは多くの識者が指摘しているとおりです。新自由主義というのは、究極的には関税を撤廃し国境線もなくなりフラット化した市場のなかで苛烈な競争をする、文字通り食うか食われるかの市場原理主義です。だから、グローバル企業にとって国民国家の論理なんてただの手かせ足かせでしかなく、国民国家が解体する(身軽になる)方向に進むのは理の当然です。楽天やユニクロのように、社内公用語を英語にしたり、世界同一賃金にしたりするのも、ある意味で当然でしょう。ところが一方で、安倍政権は、ネトウヨが狂喜乱舞するように、極右政治家を重用し、歴史修正主義や排外主義的なナショナリズムを前面に出し、マスコミを使って国民を煽っているのです。

これは一見矛盾するような気がします。しかし、内田樹氏に言わせれば、決して矛盾しているわけではなく、むしろ両者はコインの表裏の関係にあるのだそうです(内田樹の研究室)。なぜなら、グローバリゼーションの「『企業利益の増大=国益の増大』いう等式」の「その本質的な虚偽性を糊塗するために、過剰な「国民的一体感」を必要とする」からです。「『そうしなければ、日本は勝てないのだ』という情緒的な煽りがどうしても必要」だからです。

これは「戦争」に類するものだという物語を国民に飲み込んでもらわなければならない。中国や韓国とのシェア争いが「戦争」なら、それぞれの国民は「私たちはどんな犠牲を払ってもいい。とにかく、この戦争に勝って欲しい」と目を血走らせるようになるだろう。
国民をこういう上ずった状態に持ち込むためには、排外主義的なナショナリズムの亢進は不可欠である。だから、安倍自民党は中国韓国を外交的に挑発することにきわめて勤勉なのである。外交的には大きな損失だが、その代償として日本国民が「犠牲を払うことを厭わない」というマインドになってくれれば、国民国家の国富をグローバル企業の収益に付け替えることに対する心理的抵抗が消失するからである。


要するに、「国民国家の国富をグローバル企業の収益に付け替える」ためには、排外主義的なナショナリズムは格好の方便だというわけです。「愛国」でもなんでもないのです。

金融市場には既に国境線がなくなり、完全にグローバル化し歯止めが利かなくなっているのは言うまでもありません。今日の暴落に対しては「利益確定売り」の「調整」だという声が大半ですが(「だからたいしたことはない」とでも言いたげですが)、ホントにそんな能天気な話なのか。

仮に今日の暴落が「調整」だったとしても、ヘッジファンドというのは、売るために買うわけですから、いづれしゃぶり尽くされて日本が売られるのは火を見るよりあきらかです。そのときは、一部で指摘されているように、国債暴落や財政破綻も現実味を帯びてくるでしょう。私たちにできることは、どこかのネトウヨのように無定見に踊る(踊らされる)ことではなく、自分たちなりの方法でその日に備えることではないでしょうか。もうそれしかないのです。


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2013.05.23 Thu l 社会・メディア l top ▲