一昨日、仕事の関係で帰りが遅くなり、新宿のホテルに泊まったのですが、結局、一睡もせずに朝を迎えることになりました。私は見かけによらず神経質なところがあって(一方で無神経なところもありますが)、よそに行くと寝付けないことが多いのです。

ホテルでは高橋源一郎の『銀河鉄道の彼方に』を読んで時間を潰しましたが、読み疲れたら窓のカーテンを開け、きらびやかなネオンが瞬く新宿の街を眺めたりして朝を待ちました。『銀河鉄道の彼方に』は非常に長い小説なので、読み終えたらまた感想を書くつもりですが、小説のせいなのか、ふと二十歳の入院していたときのことを思い出しては、ちょっとセンチメンタルな気分になっている自分がいました。

それは私にとっては三度目の入院でした。大学受験に失敗して東京の予備校に通っていたのですが、病気が再発したため、一旦九州に戻り、地元の国立病院に入院したのでした。

国立病院は街を見下ろす高台にあり、私のベットは窓際でしたので、そこからは、至るところに湯けむりが立ち昇る温泉地の街並みとその前に広がる別府湾の海原を見渡すことができました。

私は、いつの間にか、みんなが寝静まった深夜にベットに腰掛けて、海に沿って帯状に伸びる街の灯りを眺めるのが日課になっていました。そのため、同じ病室の人たちは、私が我が身をはかなんで「泣いているんだろう」と思っていたそうです。

買い物のために外出して駅前通りを歩いていたら、カメラを構えて写真を撮っている同級生の女の子を偶然見かけたことがありました。彼女は地元の大学に進んだので、おそらく大学で写真のサークルにでも入ったのでしょう。しかし、私は声をかけることもなく、彼女に気付かれぬようにその場をあとにしました。「エッ、なんで別府にいるの? 東京に行ったんじゃないの?」と言われるのがつらかったからです。

でも、今考えれば、たしかに病気は深刻だったけど、それでも夢もあったし希望もありました。「明日」を信じることもできたのです。だから、どんなに苦しくても恋もできたのです。

老人病院のベットの上から外を眺めて朝を迎えるなんて、あまりにも悲しすぎて想像したくもありませんが、しかし、私たちに残っているのは、もうそんな現実だけかもしれません。『銀河鉄道の彼方に』のなかに、「真の悲しみとは、ただなにかを失うことではなく、それが存在していた時に自分を浸していた豊かな感情が再現されることだ」という文章がありましたが、老いるということは、そうやって「真の悲しみ」を知ることでもあるのかもしれません。「悲しみに負けた時」「希望を失った時」(『銀河鉄道の彼方に』)、私たちはなにを支えに立ち上がり再び歩みはじめればいいのか。もう一度あの頃に戻ってそれを知りたいなと思います。若い頃の思い出はせつないものがありますが、しかし一方で、どこか心のよすがになっているような気がするのは、そこに間違いなく「明日」があったからでしょう。

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2013.07.09 Tue l 日常・その他 l top ▲