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コラムニストの小田嶋隆氏が、参院選に関する朝日新聞のインタビュー記事のなかで、雑誌編集者は「読者はがきは読むな」と教えられると言ってました。どうしてかと言えば、「読者はがきを書くのは、右よりの雑誌では極右、左よりの雑誌では極左の読者が多い。つまり少数派の極端な意見で、それに引きずられてはいけない」からだそうです。

これはネットのコメントにも言えるように思います。最近はネットのニュースサイトなどで、コメント欄を設けているサイトが多いのですが、私にはコメントを求める理由がよく理解できません。実際にYahoo!ニュースなどに書き込まているコメントを読んでも、2ちゃんねるレベルのバカっぽいものばかりです。

考えてみれば、普通に仕事をしている人たちは、ネットのニュースにいちいち脊髄反射してコメントを書き込むような暇などないでしょう。コメントを書き込む人たちは、おそらく一日の多くの時間をネットに費やし、あちこちのニュースサイトにコメントを書き込んでいる人たちなのではないでしょうか。

コメント欄を設けることによって、「私たちは一方通行ではなく、読者の皆さんとコミュニケーションをとっています」「ネットはさまざまな意見が飛び交い、それを集約する民主的な場です」とでも言いたいのでしょうか。でも、ネットの現状を熟知しているはずのネットのプロたちが、今さらそんな幻想を抱いているとはとても思えません。だから、私には理解できないのです。

中川淳一郎氏が最新刊『ネットのバカ』(新潮新書)で書いているように、「子供でもバカでもツイッターやフェイスブックをやる時代において」「数年前までまだあったであろうネットへの過大な幻想はもはや捨てなければならない」のです。昔、嫌がらせ電話やいたずら電話をするには、ある程度の勇気と決断が必要でした。しかし、ネットだとそんなものは必要なく、敷居が著しく低くなったのです。

誰でもネットをするということは、当然、そこには常識に欠けた人たちや性格が病的にゆがんだ人たちや極端に偏向したものの考えをもっている人たちだっているはずです。あるいは特定の政治的宗教的意図をもって組織的に書き込みをする人たちもいるでしょう。そういった現実に対して、ネットはあまりにも無防備なように思います。

誰でもネットをする時代には、Googleの「数学的民主主義」もただのないものねだりの幻想かもしれません。むしろ現実は、水は低いほうに流れる”衆愚化”のほうが顕著になっているのではないでしょうか。

検索エンジンには、次の検索候補として入力されたキーワードを頻度の高い順に表示する、「サジェスト検索」(グーグルの場合)という機能があります。たとえば、Yahoo!で「AKB」と検索すると、上の画像のように、検索リストの上に、虫眼鏡マーク付きで「AKB 速報」「AKB48 恋するフォーチュンクッキー」「パチスロ AKB」「AKB48」と表示されますが、それが「サジェスト検索」です。

ところが、最近、ヘイトスピーチに批判的な人たちの名前で検索すると、「クルクルパー」「在日」「帰化」「反日」などといったキーワードで表示されるケースが多いのです。おそらくそういったキーワードで表示されるように、意図的に(集中的に)書き込まれたのでしょう。Googleの「数学的民主主義」の考え方やその仕組みは、性善説に基づいたきわめて単純なものなので、そのように悪用されやすいのです。

それは、Yahoo!をはじめネットに配信されるニュースに産経新聞の記事が多いため(MSNなどはもろに「産経ニュース」ですし)、記事を真に受けたネット住人たちの意見が、一般的な世論に比べて非常にバランスを欠いたゆがんだものになっているという、いわゆる”ネット言論”の問題も同じでしょう。

2006~2007年頃、日本のネット界は『ウェブ2.0』や『集合知』といった言葉がキーワードとなっており、ネットで人々が発言をすることによって、画期的な知のパラダイムシフトが起こると信じられていた。しかし、結局はバカが大暴れしたり、(略)妙な排外主義がはびこり、彼らが街頭に出る結果をもたらしたのである。寄付や助け合いなど、ポジティブな動きは生まれるものの、それ以上に救いようのない状況が生まれた(略)。
(『ネットのバカ』)


それが現実なのです。

ネットにはびこる「私刑」も同じです。安藤美姫の”出産騒動”に関して、『週刊文春』がネットで、「安藤美姫選手の出産を支持しますか?」というアンケートを実施しようとして批判され撤回した出来事に対して、北原みのり氏がWEBRONZAで、「仕事か、子育てか? なんて小さな選択をつきつける狭量なオジサンならば、いない方がいい」と批判していましたが、『文春』の姿勢は「狭量」なんてレベルのものではありません。

あれはあきらかに売らんかな主義による「私刑」を狙ったものでしょう。『文春』の編集者ならば、「読者はがきは読むな」というのは常識のはずで、ましてネットでアンケートをとればどういう結果になるかわかっていたはずです。ここにも「ネットとマスメディアの共振」が作り出す「『私刑化』する社会」の構図が透けて見えるのです。

>> 私刑の夏
>> 「数学的民主主義」
2013.07.20 Sat l ネット l top ▲