昨日の「情熱大陸」(TBS系列)は、「芸能界復帰から8か月。アラフォーとなった『朋ちゃん』のリ・スタート舞台裏に密着取材!」と銘打ち、華原朋美をとり上げていました。
それにしても、世間は移り気で、芸能マスコミはいい加減です。あれだけ叩いていた「朋ちゃん」ですが、今度は一転「朋ちゃん、がんばって!」に変わっているのです。特に女性誌にその傾向が強く、握手会などでは、「朋ちゃん」の顔を見て涙ぐむ女性ファンも多いのだとか。
ただ、この番組はドキュメンタリーというよりは、再デビュー&セルフカバーアルバム発売のパブ企画のような感じでした。さすが尾木プロダクション(正確には、プロダクション尾木)。過去のマイナスイメージを逆手にとって「朋ちゃん、がんばって!」に持っていく”力技”は見事というしかありません。
彼女をプロデュースした小室哲哉は、「アーティストに手をつけたのではない。恋人に曲を書いてデビューさせただけだ」(Wikより)とうそぶいていたそうですが、「遠峯ありさ」というB級アイドルが、当代の売れっ子プロデューサーと寝んごろになり、一躍トップアイドルの座を射止めたのですから、「シンデレラストーリー」と言われたのも当然でしょう。一方で、「公私混同だ」という批判もありましたが、しかし、芸能界は売れてなんぼの世界ですから、売れりゃそんなの関係ねぇ、逆に女王様のようにチヤホヤされるのです。私も実際に、当時小室が仕切っていた深夜のテレビ番組で、やたらチヤホヤされている彼女を見て嫌な感じがしたことを覚えています。
しかし、栄光も長くはつづきませんでした。小室に棄てられた彼女は、睡眠導入剤などのクスリに依存、救急搬送やドタキャンなど度重なるスキャンダルを演じ、ついに所属事務所のプロダクション尾木から解雇され、芸能界から姿を消したのでした。
恋人を失った心の痛みだったのか、それとも仕事の後ろ盾を失った絶望感だったのか、いづれにしてもクスリに溺れていた頃の彼女には、たしかにアイドルではないひとりの女性としての素の部分がさらけ出されていたように思います。だから、ファンたちは、今の「がんばっている」彼女を見て応援したくなるのでしょう。ファンというのは、芸能界はなんでもありだなんてひねくれた見方はしないのです。
でも、”同情”だけでやっていけるほど、芸能界が甘い世界でないことは言うまでありません。再デビューに際しての彼女の姿勢にも、危なっかしいところがないわけではありません。芸能界から身を引いたあとは、二十歳の頃から疎遠になっていたフィリピンに永住している父親のもとに行き、現地でめぐまれない子どもたちをサポートしている父親の活動を手伝ったりしていたそうですが、なのにどうしてまた生き馬の目をぬく(クスリに溺れるほど痛い目にあった)芸能界に戻ってきたのか。私は、「歌が好き」とかいう以前に、一度華やかなスポットライトを浴びた人間がもっている”哀しい性”のようなものを感じてならないのです。彼女が、再びお人好しなファンを裏切らないことを願うばかりです。
そして、再デビュー曲の「夢やぶれて」のようなお涙頂戴ではなく、過去の栄光に負けないようなオリジナル曲で勝負するのを待ちたいと思いました。
それにしても、世間は移り気で、芸能マスコミはいい加減です。あれだけ叩いていた「朋ちゃん」ですが、今度は一転「朋ちゃん、がんばって!」に変わっているのです。特に女性誌にその傾向が強く、握手会などでは、「朋ちゃん」の顔を見て涙ぐむ女性ファンも多いのだとか。
ただ、この番組はドキュメンタリーというよりは、再デビュー&セルフカバーアルバム発売のパブ企画のような感じでした。さすが尾木プロダクション(正確には、プロダクション尾木)。過去のマイナスイメージを逆手にとって「朋ちゃん、がんばって!」に持っていく”力技”は見事というしかありません。
彼女をプロデュースした小室哲哉は、「アーティストに手をつけたのではない。恋人に曲を書いてデビューさせただけだ」(Wikより)とうそぶいていたそうですが、「遠峯ありさ」というB級アイドルが、当代の売れっ子プロデューサーと寝んごろになり、一躍トップアイドルの座を射止めたのですから、「シンデレラストーリー」と言われたのも当然でしょう。一方で、「公私混同だ」という批判もありましたが、しかし、芸能界は売れてなんぼの世界ですから、売れりゃそんなの関係ねぇ、逆に女王様のようにチヤホヤされるのです。私も実際に、当時小室が仕切っていた深夜のテレビ番組で、やたらチヤホヤされている彼女を見て嫌な感じがしたことを覚えています。
しかし、栄光も長くはつづきませんでした。小室に棄てられた彼女は、睡眠導入剤などのクスリに依存、救急搬送やドタキャンなど度重なるスキャンダルを演じ、ついに所属事務所のプロダクション尾木から解雇され、芸能界から姿を消したのでした。
恋人を失った心の痛みだったのか、それとも仕事の後ろ盾を失った絶望感だったのか、いづれにしてもクスリに溺れていた頃の彼女には、たしかにアイドルではないひとりの女性としての素の部分がさらけ出されていたように思います。だから、ファンたちは、今の「がんばっている」彼女を見て応援したくなるのでしょう。ファンというのは、芸能界はなんでもありだなんてひねくれた見方はしないのです。
でも、”同情”だけでやっていけるほど、芸能界が甘い世界でないことは言うまでありません。再デビューに際しての彼女の姿勢にも、危なっかしいところがないわけではありません。芸能界から身を引いたあとは、二十歳の頃から疎遠になっていたフィリピンに永住している父親のもとに行き、現地でめぐまれない子どもたちをサポートしている父親の活動を手伝ったりしていたそうですが、なのにどうしてまた生き馬の目をぬく(クスリに溺れるほど痛い目にあった)芸能界に戻ってきたのか。私は、「歌が好き」とかいう以前に、一度華やかなスポットライトを浴びた人間がもっている”哀しい性”のようなものを感じてならないのです。彼女が、再びお人好しなファンを裏切らないことを願うばかりです。
そして、再デビュー曲の「夢やぶれて」のようなお涙頂戴ではなく、過去の栄光に負けないようなオリジナル曲で勝負するのを待ちたいと思いました。