歪んだ忌日


北町貫多、いや西村賢太の最新短編集『歪んだ忌日』(新潮社)を読みました。

この本には6篇の短編が収められていますが、この本にも、①若い頃の孤独で鬱屈した日常、②秋恵とのDV満載の同棲生活、③私淑する藤澤清造、といったおなじみのパターンの話が収められていました。

私は、西村賢太の小説は果たして私小説と言えるのだろうかという疑問があります。この偉大なるマンネリズムを見せつけられると、もはや「私小説」というエンターテインメントではないのかと思ったりもします。

西村賢太は、朝日新聞デジタルのインタビューで、「私小説だからできることを遠慮なくやっている」「主人公イコール作者と思われるのが良い私小説。現実をそのまま書いていると思わせて読者をだます。そこが腕の見せどころ」(著者に会いたい)と言ってますが、これなどを読むと、西村自身にもエンターテインメントという自覚があるのではないかと思ってしまいます。

私小説であれどんな小説であれ、作者と作品、作者と登場人物の間には、それこそ「語る人」と「語られる人」、「視る人」と「視られる人」の緊張感が保たれていなければなりません。それが小説の”善し悪し”につながることは言うまでもありません。今の西村賢太にその緊張感があるのか疑問です。サービス精神が災いしているのか、どうも小説自体が「面白おかしい」とか「感傷的」とかいった予定調和に堕しているように思えてならないのです。秋恵のDVものを読んでも、なんだかギャグ連発の漫談を聞いているような気分になってくるのです。

私がこの本で注目したのは、芥川賞受賞以後の身辺を描いた「感傷凌轢(かんしょうりょうれき)」と「歪んだ忌日」です。

「感傷凌轢」は、二十数年没交渉になっている母親から突然届いた手紙の話です。貫多によるお金の無心や家庭内暴力のために、一方的に連絡を絶った母親がどうして今頃手紙を寄越したのか、貫多は疑心暗鬼に捉われます。如何にも母親らしい文面の裏に隠された思惑をあれこれ勘繰るのでした。やはり金なのか。

 (略)貫太が、やがて心中において導きだしたのは、
(三百万までだな)
 との答えだった。
 即ち、もし母がこれを口火に彼に接触を試み、もって金銭の無心をしてくるようなことがあったなら、そのときは一度きり、その額までは融通してやろうと云うギリギリのラインの答えである。これ以上では、彼の足までも引っ張られて、共倒れとなりかねない。


でも、そんな結論もどこかしっくりしない気持があります。「何やら軽ろき焦りを覚え」るのでした。

 その焦りが苛立ちに変わったとき、彼はしょうことなしに腰を上げ、再び後架へと向かっていった。
 そして、便器にサンポールの液体をぶちまけると、やおら柄付きのブラシを握りしめ、尿石の付着部分を一心にこすり始めたのである。


その姿は、まるで彼の心に張り付いた家族に対する思慕の念を賢明にこすり落としているかのようです。でも、ここでも最後に出てくるのは「感傷」という予定調和なのでした。

「歪んだ忌日」は、作者が”歿後弟子”を名乗るほど私淑している藤澤晴造の「晴造忌」にまつわる話です。(引用者注:本来の名前は環境依存文字のため、通常の「晴造」に換えました)

芥川賞受賞直後に行われた「晴造忌」には、予想を「はるかに上廻る有象無象」が押し掛けてきて、挙句の果てに、「受賞を墓前に報告」なんていうマスコミ向けの「小芝居」まで演じる始末でした。それは、貫多にとって、「災厄」とも言うべき「不快」なものでしかありません。

そして、翌年の「晴造忌」は、「有象無象」を避けるために、初めて日延べするはめになったのですが、それでも関係者から日程が漏れ、招からざる客に少なからず神経をすり減らすことになったのでした。

今年もまた同じような事態になったらと思うと、貫多は気が重くなるのでした。そのため、今年は日延べした日程が事前に漏れないように周到に姦計をめぐらした末、貫多は不安を抱きながら七尾の菩提寺に向かいます。

ところが、貫多を待っていたのは、拍子ぬけするほどの、のどかな光景でした。「二年前は、本当になんとも賑やかやったのに、なんかもう、まるで潮が引いてしまったみたいやわいね」と住職がおっとりした口調で言い、貫多もまた、「いっぱしの著名人ででもあるかのように心得、あれこれ一人で気を揉み、しきりに渋面を作り続けていたことがどうにも馬鹿馬鹿しくってならず、つくづく自らの思い上がりを恥じずにはいられなかった」のでした。そして、祥月命日に「晴造忌」を行わなかったことへの後悔の念をあらためて抱くのでした。

「ゲスったらしい」小説も、そこに緊張感がなければ、「人間」や「人生」を見つけることができない、ただの「ゲスったらしい」小説で終わります。インタビューにあるように、「私小説」という手法が、読者に阿(おもね)る小手先の手段になっているとしたら、芥川賞はむしろ小説家に”不幸”をもたらしたと言えるのではないでしょうか。彼の「焦り」や「苛立ち」の根底には、そういった思いもあるのかもしれません。

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2013.10.08 Tue l 本・文芸 l top ▲