私は空いていればシルバーシートでも座りますが、先日も、シルバーシートに座ってウトウトしているときでした(決してタヌキ寝入りしていたわけではありません)。
突然、「まったく今の若い人はなにを考えているんだか」「そんなもんだよ」という男女の甲高い声が聞こえてきたのです。
ハッ!と思って目を開けると、斜め前に初老の女性が立っていました。私は三人掛けの一番奥の席に座っていたのですが、いつの間にか隣にも女性と同じ年恰好の男性が座っていました。わざとらしい会話をしていたのはその二人でした。二人はどうやら夫婦のようでした。
私は、とっさに私に対する当てつけだと思いました。「若い者がシルバーシートに座って。年寄りが前に立っているのにタヌキ寝入りして知らんぷりしているのか」と。
でも、よく見ると、立っているのはまだ60代の半ばくらいの元気な女性なのです。私は、逆に反発を覚えました。その手の人間は、普段、「年寄り扱いなんかされたくないわ」なんて言っているくせに、都合のいいときだけ「年寄り」のふりをするのです。普段は平気で人を裏切り差別しているくせに、人を指弾するときだけ善良ぶる市民社会の住人たちと同じです。
「だったら意地でも変わらないぞ」と私は思いました。電車のなかでいちばんマナーが悪いのは高校生とヤンキーで、そのつぎにマナーが悪いのが、シルバーシートに座っている俄か「年寄り」たちです。まるでおれたちの特権とでも言わんばかりに、他の席がギューギュー詰めで混んでいても、平気で横の座席に荷物を置いて座っているし、なかには足を組んでふんぞり返って座っている「年寄り」さえいます。実際にシルバーシートが必要な年寄りなんて、10人のうち1人いるかいないかでしょう。あとは特権を我が物にせんとする俄か「年寄り」ばかりです。
私は、「当てつけみたいな言い方をしないで堂々と言えよ」と思って、女性と男性を睨みつけました。しかし、彼らは私の視線にはまったく気付かず、反対側のほうをチラチラと見ているのでした。
あれっ?と思って横を見ると、私と反対側の端の席(つまりドア側の席)には、若い男の子が、タヌキ寝入りなのか、目をつむって座っていました。どうやら夫婦が当てつけに言っていたのは、私ではなく隣の男の子のほうだったのです。
現状を把握した私は、少なからぬショックを覚えました。「エッ、おれじゃないんだ?」「どうしておれじゃないの?」と言いたいような気持でした。もし「変わりましょうか」と席を立っても、「あなたはいいのよ。お互い様でしょ」と言われて制止されるかもしれません。「まったく今の若いもんは気がきかないですな」と隣の男性から同意を求められるんじゃないかと思って、私はあわてて目をつむりました。
あてつけの夫婦が降りたあと、正面の窓ガラスに映った自分を顔をまじまじと見つめている自分がいました。そこに映っていたのは、老いたコッカースパニエルのようなくたびれたおっさんの顔です。いつまでも若いつもりでも、年齢はごまかせないのです。そう思うと、玉手箱を開けた浦島太郎ではないですが、いっきに老けたような気持になるのでした(と言っても、年に何度かそういったことがありますが)。
突然、「まったく今の若い人はなにを考えているんだか」「そんなもんだよ」という男女の甲高い声が聞こえてきたのです。
ハッ!と思って目を開けると、斜め前に初老の女性が立っていました。私は三人掛けの一番奥の席に座っていたのですが、いつの間にか隣にも女性と同じ年恰好の男性が座っていました。わざとらしい会話をしていたのはその二人でした。二人はどうやら夫婦のようでした。
私は、とっさに私に対する当てつけだと思いました。「若い者がシルバーシートに座って。年寄りが前に立っているのにタヌキ寝入りして知らんぷりしているのか」と。
でも、よく見ると、立っているのはまだ60代の半ばくらいの元気な女性なのです。私は、逆に反発を覚えました。その手の人間は、普段、「年寄り扱いなんかされたくないわ」なんて言っているくせに、都合のいいときだけ「年寄り」のふりをするのです。普段は平気で人を裏切り差別しているくせに、人を指弾するときだけ善良ぶる市民社会の住人たちと同じです。
「だったら意地でも変わらないぞ」と私は思いました。電車のなかでいちばんマナーが悪いのは高校生とヤンキーで、そのつぎにマナーが悪いのが、シルバーシートに座っている俄か「年寄り」たちです。まるでおれたちの特権とでも言わんばかりに、他の席がギューギュー詰めで混んでいても、平気で横の座席に荷物を置いて座っているし、なかには足を組んでふんぞり返って座っている「年寄り」さえいます。実際にシルバーシートが必要な年寄りなんて、10人のうち1人いるかいないかでしょう。あとは特権を我が物にせんとする俄か「年寄り」ばかりです。
私は、「当てつけみたいな言い方をしないで堂々と言えよ」と思って、女性と男性を睨みつけました。しかし、彼らは私の視線にはまったく気付かず、反対側のほうをチラチラと見ているのでした。
あれっ?と思って横を見ると、私と反対側の端の席(つまりドア側の席)には、若い男の子が、タヌキ寝入りなのか、目をつむって座っていました。どうやら夫婦が当てつけに言っていたのは、私ではなく隣の男の子のほうだったのです。
現状を把握した私は、少なからぬショックを覚えました。「エッ、おれじゃないんだ?」「どうしておれじゃないの?」と言いたいような気持でした。もし「変わりましょうか」と席を立っても、「あなたはいいのよ。お互い様でしょ」と言われて制止されるかもしれません。「まったく今の若いもんは気がきかないですな」と隣の男性から同意を求められるんじゃないかと思って、私はあわてて目をつむりました。
あてつけの夫婦が降りたあと、正面の窓ガラスに映った自分を顔をまじまじと見つめている自分がいました。そこに映っていたのは、老いたコッカースパニエルのようなくたびれたおっさんの顔です。いつまでも若いつもりでも、年齢はごまかせないのです。そう思うと、玉手箱を開けた浦島太郎ではないですが、いっきに老けたような気持になるのでした(と言っても、年に何度かそういったことがありますが)。