
今、話題の小説『原発ホワイトアウト』(講談社)を読みました。
奥付には、以下のような「著者略歴」が載っていました。
若杉 冽(わかすぎ・れつ)
東京大学法学部卒業
国家公務員1種試験合格。
現在、霞が関の省庁に勤務。
また、本の冒頭には、つぎのような有名な箴言が掲げられていました。
歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として(カール・マルクス)
なにがくり返されるのか。原発事故です。
『原発ホワイトアウト』は、原発再稼動に蠢く電力会社・役所・与野党のいわゆる「原子力ムラ」のゾンビたちの、国家を食む実態を暴いた「告発」小説です。しかも、著者は、霞が関の現役のキャリア官僚なのです。
小説はそのリアルさが話題となり、発売1カ月で6万5千部と、新人の作品としては異例の売れ行きになっているとか。そのため、霞が関では「若杉冽」という覆面作家が誰なのか、犯人捜しがはじまっているそうです。
日本電力連盟常務理事の小島巌は、保守党が政権に返り咲き、国会のねじれも解消された現在、一日も早く原発再稼動を実現して「モンスターシステム」を復活させなければ「世の中がめちゃくちゃになる」、と危機感をあらわにします。
(略)世の中がめちゃくちゃになる、とは、電力会社のレントという甘い蜜に群がることができなくなる、ということと同義であった。政治家はパーティー券が捌けず、官僚は天下りや付け回しができず、電力会社は地域独占という温室のなかでの大名扱いがなくなる、ということだ。
レントとは、「10社体制」による地域独占と総括原価方式という独占価格によって生み出される超過利潤です。その一部が取引先にプールされ、政界工作や世論工作などに使われているのでした。そういった「モンスターシステム」によって生み出される裏金は、小島巌の出向元である関東電力だけで年間800億円あると言われているのです。
再稼動を実現するためには、福島第一原発事故によって目の上のたんこぶのように発生した、いくつかの問題を取り除かなければなりません。その際に手足となるのは、マスコミ・与野党の政治家・原発文化人・検察&警察でした。
まず最初に目ざわりなのは、新崎原発の再稼動に対して、慎重姿勢を崩さない新崎県の改革派知事・伊豆田清彦です。伊豆田知事は、清廉潔白で県民からも絶大な支持を得ていました。しかし、一方で、既得権をはく奪された県庁職員やそのOB、また県庁職員と癒着しておいしい汁を吸っていた地元企業からは煙たがられているのでした。そんな伊豆田知事にどう「毒を盛る」か。
小島巌は、まず地元紙に、県が業務用システムの開発を発注したソフト会社が、親戚のトンネル会社をとおして伊豆田知事に利益供与している疑いがあるというスクープ記事を書かせます。その記事を受けて今度は、関東電力の労組出身の議員が、県議会でその問題をとり上げ、知事に疑惑を正すのでした。さらに追い打ちをかけるように、大手の週刊誌「週刊文秋」に、知事のスキャンダル記事がセンセーショナルに掲載されます。それによって知事の支持率は急落。最後は、「原子力ムラ」の意を汲んだ東京地検特捜部が強制捜査に乗り出し、伊豆田知事を収賄容疑で逮捕。再稼動に反対する改革派知事は、こうして失脚させられるのでした。
つぎは、国会周辺で行われる反原発デモです。デモに対しては、警察によるあの手この手の「デモ崩し」が行われていました。たとえば、警察はデモ参加者の顔をビデオ撮影し、デモの帰りを尾行。参加者の住所や勤務先を特定したあと、後日、所轄の警察署の警察官が近所の家や職場を訪問してデモに参加していることを告げ、ときにビデオを見せて、参加者を地域や職場から浮き上がらせるように仕向けるのでした。また、デモ帰りの自転車の無灯火や立ち小便に対しても、道交法違反や軽犯罪法違反で現行犯逮捕するという嫌がらせを行うのでした。
デモの先頭には、脱原発候補として参院選で当選した元俳優の「山下次郎」がいました。外国要人が来日したある日、彼もまた条例違反の違法デモを扇動したかどで、機動隊に逮捕拘束されるのでした。
もうひとつ大事なことは、世論工作です。原発事故による脱原発の感情論から、なんとしてでも世論を「再稼動やむなし」に転換させなければなりません。それには、電気料金の「値上げか再稼動か」の二者択一を迫り、「『値上げ』で大衆を脅すしかない」のです。そして、その「脅し」には、膨大な広告費で手なずけたテレビの力を借りるのがいちばんです。
「原発事故もいやだけど、月々の電気料金の支払いアップも困りますよね」
と、ワイドショーのコメンテーターが呟けばよいのである。大衆は、ワイドショーのコメンテーターの意見が、翌日には自分の意見になるからだ。
発送電分離や電力の自由化といった「電力システム改革」についても、官僚や政治家たちは「神は細部に宿る」とうそぶくのでした。つまり、「電力システム改革」という金看板はおろさずに、細部の制度設計をコントロールして実質的に骨抜きにすればいいと考えるのです。
「(略)発電部門と送電部門が法的分離をしたとしても、所詮、民間企業の同じグループ会社です。会社の建物も同じであれば、株主も共通で、持ち株会社によって支配されます。人事も形のうえでは一定の制限を設けないといけないでしょうが、、幹部クラスにとどめることはできるでしょう。若い人たちは持ち株会社を経由して、いくらでも行き来は可能です。会社の内戦電話やイントラネットだって共有でしょう。(略)」
これは、経済産業省資源エネルギー庁次長の日村直史が、保守党の「商工族のドン」・赤沢浩一に、発送電分離について説明しているときの日村の発言なのですが、私は読んでいて「あれっ、どこかに似た話があるな」と思いました。そうです、郵政民営化と同じなのです。
ほかにも、マスコミやネットに電力会社に都合のいい「声」を届けるために、電力会社がやらせの”工作員”を抱えているとか、電気料金の徴収で手に入る顧客情報が、選挙のときには第一級の選挙資料に化けるとかいった、アンタッチャブルな電力会社の一面も描かれていました。
そして、テロをきっかけに、新崎原発で再び外部電源喪失によるメルトダウンが起こり、小説は終わります。
たしかに小説はリアル感満載です。モデルが簡単に特定できるので、まるで実録小説のように読めるのです。ただ、小説自体は稚拙で、小説としての深みはあまりありません。
私は、終章に出てくるつぎのようなことばが印象的でした。
フクシマの悲劇に懲りなかった日本人は、今回の新崎原発事故でも、それが自分の日常に降りかからない限りは、また忘れる。喉元過ぎれば熱さも忘れる。日本人の宿痾であった。
― 歴史は繰り返される。しかし二度目は喜劇として。
別の箇所には、「国の政治は、その国民の民度を超えられない」ということばも出てきますが、たしかにそのとおりで、なんとか言っても、問題の本質は私たち自身にあるのです。
ある新聞に、小説では逮捕される山本太郎が、現実では自分からずっこけてしまった、というような皮肉っぽい記事が出ていましたが、山本太郎も然り。また、今、問題になっているホテルやデパートの食材偽装や楽天優勝セールでの不当表示なども然りです。みんな根っこはつながっているように思います。ゾンビを生きながらえさせているのは、愚民扱いされている私たち自身なのです。
また、この小説では触れられていませんが、現在開会中の国会で成立が見込まれている「特定秘密保護法」では、原発にテロ(核テロ)の網をあぶせれば、「特定秘密」に指定することも可能でしょう。そうなれば原発に関する情報は、「ただちに健康に影響はない」とか「汚染水は完全にブロックされている」とかいった話どころではなく、すべて闇のなかに秘匿されることにもなりかねないのです。
東電はけしからん、経産省もけしからん、東大や東工大の学者もけしからん、自民党も公明党も民主党もけしからん、マスゴミもけしからん。そんなことを百万遍唱えても国家を食い物にする構造は微動だにしなでしょう。私たちが変わらない限り、なにも変わらないのです。変わりっこないのです。
では、3.11以後、なにか変ったのか。「変わった」「変わった」と言うわりにはなにも変わってないのではないか。元の木阿弥になりつつある今の状況がすべてを物語っているのではないでしょうか。この『原発ホワイトアウト』は、そんな無理が通り道理が引っ込む状況に対して、やりきれないような気持にさせられる小説と言ってもいいでしょう。
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