大方の予想どおり、特定秘密保護法案が26日、衆議院の特別委員会で強行採決されました。そして、同日夜の本会議に緊急上程、本会議では自民・公明・みんなの党の賛成多数で可決、ただちに参議院に送られました。これにより”平成の治安維持法”は、今国会での成立が濃厚になりました。まさにこの国は歴史的な曲がり角にさしかかったと言ってもいいでしょう。

しかし、多くの人たちには(この法律に「反対」する人たちでさえ)、「この国が歴史的な曲がり角にさしかかった」という認識は乏しいようです。「いくらなんでもそれはオーバーだろう」と思っているのが本音ではないでしょうか。

特定秘密保護法では、行政機関の長が特定秘密を指定する権限をもつことになりますが、その「特定秘密指定権者」の行政機関は、53(あるいは57という話もある)にものぼるそうです。

そのなかには、各省庁の国務大臣のほかに、「中心市街地活性化本部長」「都市再生本部長」「郵政民営化推進本部長」「社会保障制度改革国民会議」など、外交や防衛やスパイやテロとどう関係があるのか首をひねりたくなる機関も含まれているそうです。そして、それらの機関によって既に30万件とも40万件とも言われる情報が「特定秘密」に指定される予定だと言うのです。「特定指定権者」には天下り機関も含まれていますので、公務員にとって都合の悪い情報がなんでも「特定秘密」に指定され、さらにそれが際限なく増殖する可能性さえあるのです。それは「オーバーな話」でもなんでもありません。

しかも、この法律では、行政機関の長がみずから指定した「特定秘密」を国会議員に開示するかどうかも行政機関の長の判断にゆだねられるのだそうです。つまり、国会議員より官僚のほうが上に立つのです。国会の国政調査権も制限されることになるのです。この法律に賛成する国会議員たちは、みずからの役割を放棄し、官僚のドレイになる道を選んだと言っても過言ではありません。

また、特定秘密保護法は、私たちにも深刻な影響をもたらす危険性があります。と言うのも、「特定秘密」を漏洩した人間だけでなく、「特定秘密」を「取得」した人間も、「未遂」「共謀」「教唆」「煽動」で処罰されることになるからです。それどころか、もともとなにが「特定秘密」なのかは知らされませんので、私たちはなにが「特定秘密」かは知る由もありません。だから、たまたま世間話として聞いた話が「特定秘密」に指定されていた場合は深刻です。その場合、「特定秘密」が漏れたこと自体が犯罪なので、警察に事情聴取されることだってあるでしょう。また、それをブログに書いたりすると、ある日突然警察の訪問を受け、家宅捜査されることもあり得えます。へたすれば、「共謀」「教唆」の罪に問われて逮捕されることだってあるかもしれません。

「特定秘密」というのは、とにかく絶対触れてはならない”ウイルス”のようなものです。しかも、なにが”ウィルス”であるかはわからないのです。しかも、法律の施行後、40万件が”ウィルス”に指定される予定だと言われているのです。

北海道大学の山口二郎氏は、ツイッターでつぎのようにつぶやいていました。


自民党の議員たちから見ても、「欠陥だらけの法案」にしか見えない。にもかかわらず、法案がひとり歩きする怖さを感じないわけにはいきません。

慶応大学(政治思想史)の片山杜秀氏は、東京新聞のインタビュー記事で、「二〇一一年に東日本大震災が起きました。社会が不安定になり、脱原発論のように、国家に都合の悪いことを言う人が増える中で、秘密保護法が成立しようとしている。両者は法としては開きがありますが、危機意識を持った国家が情報を統制しようとするという点は非常に似ている」と治安維持法が成立した当時の政治状況と今のそれがよく似ていると指摘していました。(東京新聞「子孫の利益考えよう 思想史家・片山杜秀さん」TOKYO Web

また、俳優の菅原文太氏は、反対集会でつぎのように発言していたそうです。

こういう法律が出てくるなんて考えもしなかった。戦後初めてでしょう。私は戦争中の時代をかすっている。その頃は異常な時代だったから考えられないことが沢山あった。この法案が通ればトドメになるのかと思うくらい悪法。娯楽と騒々しい中に放り込まれて、考える事をなくしてしまった中で、こんなものが突きつけられている。ここにいる皆さんが考えつかないような時代になる。
田中龍作ジャーナル・【秘密保護法】 言論人が総決起集会 文太兄ぃ「トドメの悪法になる」


「この国の歴史的な曲がり角」というのは、「新たな戦前の時代」ということです。それは決して「オーバーな話」ではないのです。

それにしても、メディアはどうしてこんなに手ぬるいのか。大手新聞でも産経と読売は、法案に対する批判的な視点は少なく、本音は「賛成」のように見えます。また、雑誌は言わずもがなで、「週刊新潮」と「週刊文春」なんて特定秘密保護法どころか、ネトウヨまがいの征韓論までぶち上げ、俗情と結託してヘイトな(民族憎悪な)ナショナリズムを煽りつづけています。まるで「戦前」への郷愁を募らせているかのようです。『原発ホワイトアウト』でも、原発再稼動に慎重な新潟県知事、いや新崎県知事に「毒を盛る」ために、「週刊文秋」なる週刊誌が登場しますが、私たちが若い頃、「週刊文春」は、内調(内閣情報調査室)の広報誌だとヤユされていました。この二誌が公安情報に強いのは昔から有名ですが、そういったワンダフル(ワンと吠える犬)な体質は今も変わってないということかもしれません。

強行採決を受けて、日本ペンクラブ(浅田次郎会長)は会見を開き、「ものを表現する人たちみなが制約を受けるのは目に見えている。自由な表現ができなくなることは文化の後退である」「後世にどのように拡大解釈され、悪用されるのか、誰も責任を取らない。法律とは現代の私たちのためではなく、未来のためのもの。民意に反して一分一秒を争うように強行したことは、未来への反逆だ」と抗議声明を発表したそうですが、だったらその前に新潮や文春を糾弾しろよと言いたくなります。新潮や文春のやっていることは見て見ぬふりをして、もっともらしいことばで法案を批判する。そういった羊頭狗肉な姿勢こそ「制度化されたことば」と言うべきでしょう。そんなことばは屁のつっぱりにもならないのです。戦前もこういった「制度化されたことば」は、いとも簡単に”動員の文学に”転化したのです。その先頭にいた出版社が文藝春秋社でした。

それは、「国民の知る権利が犯され、言論・報道の自由が制限される」として、法案に反対する声明を発表したジャーナリストの鳥越俊太郎氏(元毎日新聞)や大谷昭宏氏(元大阪読売新聞)や田原総一朗氏や金平茂紀氏(TBS)や岸井成格氏(毎日新聞)や川村晃司氏(テレビ朝日)にしても同じです。彼らは、アベノミクスを礼讃する一方で、生活保護を叩き、「尖閣」や「竹島」問題では、ヘイトなナショナリズムを煽ってきたのです。そういった流れが今回の法案につながっているという認識はないのでしょうか。私は彼らに対して、「いけしゃあしゃあ」という感想しかもてませんでした。

新聞やテレビにしても同様です。原発事故の際、「ただちに健康に影響はない」という政府のデマゴギーを流しつづけた新聞やテレビに、この特定秘密保護法に対する危機感がホントにあるのか疑問です。もともと彼らは、そういう危機感をもつような報道をしてきたわけではないのです。

そう考えると、この”平成の治安維持法”にホントに危機感をもって反対している人なんているのだろうかと思ってしまいます。そういった弛緩した空気こそ、戦前の治安維持法のときと「よく似ている」のかもしれません。
2013.11.27 Wed l 社会・メディア l top ▲