ずっと欲しくてたまらなかった某老舗ブランドのステンカラーのコートを、清水の舞台から飛び降りるつもりで(ちょっとオーバーか)買いました。これでステンカラーのコートは、スプリングコートを入れると6着目です。年を取ると、なぜかステンカラーのコートがほしくなるのでした。
でも、私がホントに欲しかったのは、ツイードのステンカラーのコートです。と言うのも、父親がずっとツイードのステンカラーのコートを着ていたからです。
父親が着ていたのは、ややグリーンがかったヘリンボーンの柄で、比翼仕立てにラグラン袖のベーシックなロングコートでした。家ではコートと言わずにオーバーと言ってました。
父親は自営業(写真屋)でしたので、普段はコートを着ることはありませんでした。それこそ年に何度か余所行きのときに着るくらいでした。そのためか、私が物心ついたときから亡くなるまで、ずっと同じコートを着ていました。洋服ダンスを開けると、白元の虫よけ剤の臭いが漂うなかにいつもそのコートが掛けられていたのを覚えています。
若い頃、ステンカラーのコートなんてダサくて爺臭いイメージがありました。でも、不思議なことに年を取るとステンカラーのコートがいいなあと思うようになったのでした。そして、それとともに、父親のあのコートが思い出されてならないのでした。
余談ですが、小林秀雄や中野重治も、なぜか私のなかでは暗い色のステンカラーのコートを着ているイメージがあります。やはり、ツイードのコートは存在感があるからでしょうか。なによりクラシカルなツイードのコートには、白髪が似合うような気がします。
最近は、年齢を問わずみんな同じような恰好をしています。サラリーマンは、ボンディング加工で両脇にタブベルトが付いたショート丈のコート。カジュアルな場合は、猫も杓子もダウンです。でも、あえてトラディショナルでベーシックなものを着て、それで個性を出すという方法もあるのではないでしょうか。
政治の世界では、ネトウヨやアベノミクスの新自由主義者たちが「保守」を名乗っていますので、「保守」というと、小狡い(決して賢くはない)差別主義者か拝金亡者のイメージがありますが、本来「保守」には”差別”や”お金”とは真逆の高い倫理性に裏打ちされた孤高の精神があり、そういった矜持とダンディズムがあるはずなのです。それは、トラディショナルなおしゃれにも通じるものがあるように思います。
何着も持つより、父親のように一生もののコートを仕立てて、その一着のコートをずっと大事に着るのも逆におしゃれかなと思ったりします。でも、コートをオーダーメイドで仕立てるとなると、かなり高価になりますし、普段着るには、別の意味でもちょっと重すぎるような気がしないでもありません。
それで、今回もツイードのコートを仕立るのは見送ったのでした。でも、もう少し白髪が増えたら着たいなと思っています。そして、ほかのコートを処分して、一張羅のコートで残りの人生をすごすのもいいなあと思っています。
でも、私がホントに欲しかったのは、ツイードのステンカラーのコートです。と言うのも、父親がずっとツイードのステンカラーのコートを着ていたからです。
父親が着ていたのは、ややグリーンがかったヘリンボーンの柄で、比翼仕立てにラグラン袖のベーシックなロングコートでした。家ではコートと言わずにオーバーと言ってました。
父親は自営業(写真屋)でしたので、普段はコートを着ることはありませんでした。それこそ年に何度か余所行きのときに着るくらいでした。そのためか、私が物心ついたときから亡くなるまで、ずっと同じコートを着ていました。洋服ダンスを開けると、白元の虫よけ剤の臭いが漂うなかにいつもそのコートが掛けられていたのを覚えています。
若い頃、ステンカラーのコートなんてダサくて爺臭いイメージがありました。でも、不思議なことに年を取るとステンカラーのコートがいいなあと思うようになったのでした。そして、それとともに、父親のあのコートが思い出されてならないのでした。
余談ですが、小林秀雄や中野重治も、なぜか私のなかでは暗い色のステンカラーのコートを着ているイメージがあります。やはり、ツイードのコートは存在感があるからでしょうか。なによりクラシカルなツイードのコートには、白髪が似合うような気がします。
最近は、年齢を問わずみんな同じような恰好をしています。サラリーマンは、ボンディング加工で両脇にタブベルトが付いたショート丈のコート。カジュアルな場合は、猫も杓子もダウンです。でも、あえてトラディショナルでベーシックなものを着て、それで個性を出すという方法もあるのではないでしょうか。
政治の世界では、ネトウヨやアベノミクスの新自由主義者たちが「保守」を名乗っていますので、「保守」というと、小狡い(決して賢くはない)差別主義者か拝金亡者のイメージがありますが、本来「保守」には”差別”や”お金”とは真逆の高い倫理性に裏打ちされた孤高の精神があり、そういった矜持とダンディズムがあるはずなのです。それは、トラディショナルなおしゃれにも通じるものがあるように思います。
何着も持つより、父親のように一生もののコートを仕立てて、その一着のコートをずっと大事に着るのも逆におしゃれかなと思ったりします。でも、コートをオーダーメイドで仕立てるとなると、かなり高価になりますし、普段着るには、別の意味でもちょっと重すぎるような気がしないでもありません。
それで、今回もツイードのコートを仕立るのは見送ったのでした。でも、もう少し白髪が増えたら着たいなと思っています。そして、ほかのコートを処分して、一張羅のコートで残りの人生をすごすのもいいなあと思っています。