ユーミンの罪


酒井順子の『ユーミンの罪』(講談社現代新書)を読みました。

この本は、1973年の「ひこうき雲」から1991年の「DAWN PURPLE」までの20枚のアルバムに収められた楽曲を仔細に辿ることによって、70年~80年代の若い女性たちがどうしてあんなにユーミンに惹かれていったかを解明する、いわば若い女性たちの精神史とも言うべものです。ちなみに、著者の酒井順子は、立教女学院高校でユーミンの後輩に当たるそうです。

ユーミンのなにが「罪」なのか。酒井は「あとがき」でつぎのように書いていました。

 女が内包するドロドロしたものも全て肯定し、ドロドロをキラキラに変換してくれた、ユーミン。私達は、そんな風に甘やかしてくれるユーミンが大好きでした。ユーミンが描くキラキラと輝く世界は、鼻先につるされた人参のようだったのであり、その人参を食べたいがために、私達は前へ前へと進んだのです。
 鼻先の人参を、食べることができたのかどうか。それは今もって判然としないところなのですが、人参を追っている間中、「ずっとこのまま、走り続けていられるに違いない」と私達に思わせたことが、ユーミンの犯した最も大きな罪なのではないかと、私は思っています。


酒井は、ユーミンは「瞬間」を歌にする人だと言います。ストーリーやイデオロギーや感情そのものを歌にするのではなく、「感覚であれ、具体的な事物であれ、一瞬『あ』と思ったこと、一瞬強力に光ったもの」、その瞬間をすくい上げ、歌に仕立てていくのだと。

 「日差しがこうだとか、波の具合がこう」(略)といったシチュエーションは、幸福な人しか切り取ることができないし、また幸福な人しか享受できないものです。喰うや喰わずの人にとって、日差しとか波とかの具合いなど腹の足しにもならぬでしょうし、健康でない人にとっても然り。すなわちユーミンの歌は、平和で満ち足りた世であるからこそ誕生し、そして人々に受け入れられていったものではないでしょうか。


私は、この酒井の分析は、吉本隆明が『重層的な非決定へ』(大和書房1985年刊)で書いていたつぎのような文章と符合しているように思えてなりません。吉本隆明もまた「肯定の思想」(現代思想2008年8月臨時増刊号)と言われた人でした。

『an an』(1984年9月21日号)が、「現代思想界をリードする吉本隆明のファッション」と題して、コム・デ・ギャルソンを着た吉本の写真を掲載したことに対して、埴谷雄高が、コム・デ・ギャルソンなんて「日本を悪魔」と呼ぶアジアの民衆を収奪した「ぼったくり商品」ではないかと批判し、吉本と埴谷の間でいわゆる「コム・デ・ギャルソン論争」がおきたのですが、その公開書簡のなかで吉本は埴谷につぎのように反論していました。

 埴谷雄高さん。
総じて消費生活用の雑誌は生産の観点と逆に読まれなくてはなりませんが、この雑誌(引用者注:『an an』)の読み方は、貴方の侮蔑をこめた反感とは逆さまでなければなりません。先進資本主義国日本の中級ないし下級の女子賃労働者は、こんなファッション便覧に眼くばりするような消費生活をもてるほど、豊かになったのか、というように読まれるべきです。


そして、吉本隆明はつづけて、埴谷の「左翼性(左翼的倫理)」をこう批判します。

やがて「アンアン」の読者である中学出や高校出のOLたち(先進資本主義国の中級または下級の女子賃労働者たち)が、自ら獲得した感性と叡知によって、貴方や理念的な同類たちが、ただ原罪があると思い込んだ旧いタイプの知識人を恫喝し、無知の大衆に誤謬の理念を根付けるためにだけ行使しているまやかしの倫理を乗り超えて、自分たちを解放する方位を確定してゆくでありましょう。


これを吉本は、「理念神話の解体であり、意識と生活の視えざる革命の進行」であると言います。この時代、セゾングループは感性の経営を謳歌し、私たちに最先端の消費文化を提示しました。ユーミンの歌に、そんな爛熟した資本主義の「豊かな」時代の気分が横溢していたのは間違いないでしょう。

しかし一方で、その「豊かさ」もまた、絶えざる差異化という資本主義のオキテから逃れることはできないのでした。それは、恋愛も例外ではありません。

酒井順子は、ユーミンの歌について、「助手席性」・時間の不可逆性・「軍歌」・「額縁性」などといったキーワードを使って詳細に分析していましたが、私がいちばん象徴的だと思ったのは「助手席性」です。

ユーミンの歌の主人公たちは、「中央フリーウェイ」のように、助手席にすわり、助手席の自分に満足している場合が多いのですが、しかし、それは必ずしも受け身な「古い女性」を意味しません。女性たちは「選ばれる人」ではなく「選ぶ人」なのです。どの助手席にすわるのかを「選ぶ権利」は、あくまで自分にあるのでした。

それは、スキーやサーフィンをしている彼が好きというより、スキーやサーフィンをしている彼を持つ自分が好き、という感覚です。スキーやサーフィンのみならず、「スポーツカーに乗る彼を持つ私」でもいいし、「××大学に通う彼を持つ私」でもいいでしょう。


たとえば、「ノーサイド」でも(先日の国立最後の早明戦でユーミンが歌った「ノーサイド」は感動ものでしたが)、ラブビー部の、しかも中心選手の彼の活躍をスタンドから見ている自分という、属性やシチュエーションが肝要なのだと言います。

それは、当時の女子大生の間に、「へら鮒釣り研究会とか奇術研究会の彼を持つよりも、体育会のクラブに所属する彼を持つ方が、ヒエラルキー的には上、そして体育会の中でも、バドミント部とか少林寺拳法部より、ラグビー部やアメフト部の方が上」という序列があったからです。そして、その先に、三谷友里恵に代表されるような”お嬢様ブーム”があったと言うのです。

もちろん、そういったヒエラルキーが消費生活の進化に伴う差異化、つまりブランド化と軌を一にしていることは言うまでもありません。ユーミンは、そんな時代の意匠を甘美なメロディに乗せて描く天才だったと言ってもいいのではないでしょうか。

でも、そんな時代の気分もバブル崩壊とともに大きく変質していきます。

今の若者が歌の歌詞に求めるのは、心のしんどさに対して、対症療法的効果を持つ言葉。「心の傷を癒すためにアカプルコを旅する」といった非現実的なシチュエーションよりも、「あなたは悪くない。そのままでいいんだよ」と言ってもらいたいのです。


こんな屈折もロマンもないベタな時代は、酒井が言うように、ユーミンに限らず歌を作る人間たちにとって、しんどい時代だと言えるのかもしれません。もう「私をスキーに連れてって」の時代ではないのです。助手席にすわって、甘い夢に酔いしれる時代でもないのです。今や苗場プリンスホテルの恒例のコンサートに来ているのは、ほとんどが「ポロシャツの襟を立て」たり「脱いだセーターを肩にかけている」ような(時間が止まった?)中年の男女だと言うのも頷ける気がします。

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2013.12.18 Wed l 本・文芸 l top ▲