サイゾー2014年2月号


タレントの大沢樹生と喜多嶋舞の”実子騒動”は、年が明けても未だつづいていますが、私は、その”騒動”を見るにつけ、月刊『サイゾー』(2月号)の鼎談「マル激トーク・オン・デマンド」(希望なき日本社会に求めらる「正しさ」)で、宮台真司が言っていた「感情の劣化」ということばを思い出しました。

父親の大沢樹生がDNA鑑定の結果を公けしたのは、そのタイミングからみて、自身が監督した映画「鷲と鷹」の話題づくりのためではないかという疑いはぬぐえないのですが、それにつけても長男はまだ17歳の少年なのです。それを考えれば、大沢樹生は「畜生」のような父親だと言われても仕方ないでしょう。未成年の長男にどんな影響を与えるかということを考えないのでしょうか。

また、”騒動”に便乗して無責任なデバガメ記事を書いている女性週刊誌や他人の不幸は蜜の味とばかりにえげつない噂話にうつつをぬかしている世間の人間たちも、大沢同様、「畜生」と言わねばならないでしょう。私のまわりを見ても、人権という問題の本質に目を向ける人はほとんどいません。彼らの関心はただ実の父親が誰かということだけです。そのために、あのおなじみの「ふしだらな女」の論理が持ち出されるのでした。私が知る限り、正論を吐いていたのは、「公表する神経が全く分からない」と言っていた坂上忍だけです。

私は、この”実子騒動”には今の日本の社会の姿が映し出されているように思えてなりません。そして、ネトウヨのヘイトスピーチや日本テレビの連続ドラマ「明日、ママがいない」や籾井NHK会長の慰安婦発言なども、すべて同じ根っこでつながっているように思えてならないのです。そして、その大元にあるのが、「教養のなさや独りよがりが有名」な”アベちゃん問題”です。

宮台真司は、”アベちゃん問題”について、つぎのように言ってました。

(略)性愛に例えると、安倍晋三は愛情を履き違えた<粘着質>の類です。頭山満のごとき真の右翼なら、自国に愛国者がいれば相手国にも愛国者がおり、自分が憤る事柄で相手も憤り、自分が宥和する事柄と等価な事柄で相手も宥和することを弁えるから、諸般を手打ちできます。
 ところが安倍総理の類は相手国を鬼畜呼ばわりするだけの出来の悪い水戸学派。自分の感情を表出するだけなので関係を壊し、手打ちによる落とし所を失います。もうそうなっていて、戦争でアベノミクスの成果が灰燼に帰するかもしれません。自分の感情を表出するだけの<粘着厨>が、ストーカー行為を通じて恋愛を実らせる可能性は0%。なのにストーカーを続ける。よく似ています。


アベノミクスの先に国債の暴落や財政破綻を指摘する専門家も多く、今の株高も「売るために買っている」外国人投資家に支えられているにすぎないのに、誰もその”不都合な真実”を見ようとはしないのです。そして、「国土強靭化計画」なるヒットラーばりのネーミングの公共事業の大盤振る舞いが復活して、国の借金などどこ吹く風のような様相を呈しているのです。夢野久作ではないですが、唯物功利の惨毒に冒された拝金亡者たちが「愛国」を叫ぶこの悪夢のような光景。「感情の劣化」は、こんな「底がぬけた」なんでもありの状況に符号していると言うべきかもしれません。

文芸評論家の中島一夫氏は、「週刊読書人」(1月31日号)の論壇時評で、「冷戦後を生きはじめた言論空間」と題して、「ネット右翼の発生を、日本社会の右傾化や、社会的格差の拡大や貧困が生み出す鬱積といった一国的な視点ではなく、ソ連崩壊と冷戦の終焉によるグローバルなパラダイムチェンジに見出している」右派の論客・古谷経衡氏の視点を高く評価しているのですが、これなども「朝鮮人を殺せ!」というヘイトスピーチの問題の本質を見てないという点では、”実子騒動”と同じ「感情の劣化」の所産であると言わねばなりません。このように俗情と結託する批評もまた例外ではないのです。

先の国会の所信表明でも、安倍総理は「強い日本」「強い経済」などやたら「強い」という単語を連発していましたが、そうやって「強い日本」を強調したり、日本人は世界の人たちからリスペクトされているというようなテレビ番組で「すばらしい日本人」を”自演乙”する一方で、私たちは逆に日本人として人間としていちばん大事なものを忘れつつあるのではないでしょうか。中国や韓国を嗤う資格がホントにあるのかと言いたくなります。
2014.02.02 Sun l 本・文芸 l top ▲