東京で高校の同窓会の世話人をしている同級生が、帰郷して母校を訪れた際、今年の卒業生のなかで東京の大学に進学するのは、わずか10人程度だという話を校長から聞いてびっくりしたそうです。ちなみに、私たちの頃は120人くらいいました。もはや「上京物語」も遠い昔の話なのでしょうか。

どうしてそんなに減ったのか。いちばんの理由は、親の経済的な事情だそうです。つまり、子どもを東京の大学にやるほどの経済的な余裕がなくなったのです。そのため、なるべくお金がかからないように、進学も地元(九州)で済ませる傾向が強いのだとか。

たしかに、同級生たちと会うと、あの頃、親たちはどうやってお金を工面したんだろう、という話になるのですが(我が家の場合、山を売ったらしく、のちに山がほとんど売り払らわれていることを知ってショックを受けた覚えがあります)、じゃあ私たちが自分たちの子どもに同じことができるかと言えば、もうとてもそんな余裕はないのです。

中国や韓国が台頭(キャッチアップ)して、政治的にも経済的にも日本と肩を並べるようになり、それを認めたくない人たちが嫌中嫌韓に走っているように思えてなりませんが、アベノミクスで株価が上がったとかアニメや和食が世界中でブームになっているとか日本人は世界の人たちからリスペクトされているとか(そんなテレビ番組ばかりですが)、そうやって”自演乙”して、落ちぶれて行く我が身から目をそらしているのが今の日本です。

中国や韓国とコスト競争すれば、国内の格差が広がり経済的にゆとりのない人が多くなるのは、ある意味で当然でしょう。もちろんそれを、ネトウヨや田母神氏に61万票を投じた東京都民のように、中国や韓国のせいにするのはお門違いです。落ちぶれて行く自分をどう考えるか。ただ中国や韓国と競争するだけでいいのか。

先日、税金や社会保険料など、国民の公的な負担の度合いを示す「国民負担率」が平成26年度は41.6%にもなった(厚生労働省の発表)というニュースがありましたが、そういう重税感や閉塞感から目をそらすために、アベノミクスの幻想がふりまかれている側面もあるのではないでしょうか。また、あの”生活保護叩き”も、嫌中嫌韓と同様、「うまくいかない社会」や「うまくいかない人生」のうっぷん晴らしという側面があるように思えてなりません。これこそ、貧すれば鈍すと言うべきでしょう。
2014.02.11 Tue l 社会・メディア l top ▲