昨日、中村うさぎが再入院したというニュースがありました。ニュースによれば、中村うさぎ本人がTwitterであきらかにしているそうです。それで、さっそく彼女のTwitterにアクセスしてみました。
なんでも脚の血栓が肺に転移したそうで、「また心肺停止になるかも」と言われたらしい。しかし、彼女は、こうつぶやいていました。
実際にどの程度の病状かわかりませんが、しかし、その言やよしです。彼女が言うように、それが「物書きの業」というものでしょう。
死ぬのは仕方ないのです。死は、なにも特別のことではなく、ごく普通に当り前のこととして私たちの前にあります。たしかに、人生が終わりを迎え、親しい人と永遠の別れが訪れるというのは、悲しいことではありますが、でも、それはどうあがいても逃れることができない「運命」です。
別に強がりを言うわけではありませんが、私自身、いつ死んでもいいと思っています。もちろん、苦しまずに死にたいなとかお金がかからずに死にたいなとか老人病院のベットの上であちこち管を取り付けられたまま死にたくないなとか、そういった思いはありますが、でも、死ぬことに対しては自分なりの覚悟はできているつもりです。
誰にも看取られずに、持ち物が段ボール箱1個というような孤独な老人の最期を見たとき、この人の人生ってなんだったんだろう、生まれてきてよかったんだろうか、と思ったりしましたが、しかし、それは生きながらえた人間の傲慢で、死によって人生を量るのは人生を冒涜することでしかないのです。
大学病院の個室で家族に看取られて迎える死も、郊外の老人病院の大部屋で誰からも看取られずひっそりと迎える死も、同じ死です。その人にとって死は死です。ただそれだけの意味しかないのです。
要は、死をどうやって迎えるか、その「運命」をどう受け入れるかでしょう。物書きなら、その「運命」を死の直前まで書き綴ってもらいたいと思います。もとより物書きというのは、中村うさぎが言うように、命を削ってものを書かねばならない、そんな”業”を背負った人間です。「命より仕事優先する」というのは、物書きとして本望でしょう。
私は、中村うさぎのTwitterを読んで、彼女の物書きとしての覚悟に期待したいと思いました。
>> 『狂人失格』
なんでも脚の血栓が肺に転移したそうで、「また心肺停止になるかも」と言われたらしい。しかし、彼女は、こうつぶやいていました。
5時夢は休みませんよー!原稿も書き続ける。インタビューや対談も続ける。死ぬときゃ死ぬんだからさ、命より仕事優先するって決めたのー。命あっての仕事?ううん、あたしにとっては、仕事あっての命だ。ここは誰に何を言われても譲れん!(←頑固)
https://twitter.com/nakamurausagi
実際にどの程度の病状かわかりませんが、しかし、その言やよしです。彼女が言うように、それが「物書きの業」というものでしょう。
死ぬのは仕方ないのです。死は、なにも特別のことではなく、ごく普通に当り前のこととして私たちの前にあります。たしかに、人生が終わりを迎え、親しい人と永遠の別れが訪れるというのは、悲しいことではありますが、でも、それはどうあがいても逃れることができない「運命」です。
別に強がりを言うわけではありませんが、私自身、いつ死んでもいいと思っています。もちろん、苦しまずに死にたいなとかお金がかからずに死にたいなとか老人病院のベットの上であちこち管を取り付けられたまま死にたくないなとか、そういった思いはありますが、でも、死ぬことに対しては自分なりの覚悟はできているつもりです。
誰にも看取られずに、持ち物が段ボール箱1個というような孤独な老人の最期を見たとき、この人の人生ってなんだったんだろう、生まれてきてよかったんだろうか、と思ったりしましたが、しかし、それは生きながらえた人間の傲慢で、死によって人生を量るのは人生を冒涜することでしかないのです。
大学病院の個室で家族に看取られて迎える死も、郊外の老人病院の大部屋で誰からも看取られずひっそりと迎える死も、同じ死です。その人にとって死は死です。ただそれだけの意味しかないのです。
要は、死をどうやって迎えるか、その「運命」をどう受け入れるかでしょう。物書きなら、その「運命」を死の直前まで書き綴ってもらいたいと思います。もとより物書きというのは、中村うさぎが言うように、命を削ってものを書かねばならない、そんな”業”を背負った人間です。「命より仕事優先する」というのは、物書きとして本望でしょう。
私は、中村うさぎのTwitterを読んで、彼女の物書きとしての覚悟に期待したいと思いました。
>> 『狂人失格』