中村うさぎの『週刊文春』の連載「さすらいの女王」が、今月で打ち切りになるとかで、それで、「書く場所を失った」中村うさぎは、「中村うさぎの死ぬまでに伝えたい話」と題して有料メルマガを発行することにしたそうです。

有料メルマガは、実質的に『週刊文春』からの移行と言えるでしょう。中村うさぎは、「作家」というより実際は「エッセイスト」としての活動が主なので、彼女にとって、『文春』の連載打ち切りは、想像以上に打撃が大きいのかもしれません。連載がなくなるということは、連載を収録した本の出版も今後なくなるということですし、TOKYO MXなどメディアへの露出も少なくなることが考えられます。そうなれば本も売れなくなり、今後の作家活動もままらなくなる。中村うさぎのような作家にとって、週刊誌の連載の打ち切りは、テレビ番組から降板させられるタレントと同じようなものなのかもしれません。

「文壇タブー」というと、作家と出版社の関係は作家のほうが上で、出版社が「お得意さま」に遠慮しているようなイメージがありますが、実際は逆のようです。作家は、あくまで出版社から仕事をもらう立場にすぎず、「文壇タブー」も、単に出版社の営業上の都合にすぎないのです。要するに、芸能タレントと同じで、干されたらおしまいなのです。

中村うさぎが、マスコミやネットに書いていることを鵜呑みにして(それを前提にして)、世間と一緒に”小保方叩き”をしているのも、そういった貧すれば鈍する状況と関係があるのかもしれません。

以前の中村うさぎだったら、この”魔女狩り”に対して、もっと斜に構えた見方をしたはずです。「異物」を排除する社会の風潮に「気持が悪い」と言ったはずです。若い女性であるがゆえに、必要以上に叩かれている状況に、同じ女性として「怒り」を表明したはずです。

でも、今の中村うさぎには、そんな「異物」の視点はないのでした。ただ誰でも言えることを言っているだけで、作家としての「覚悟」も見られません。曽野綾子と同じような、市民社会の公序良俗に奉仕するただのつまらないおばさんの姿しかないのです。

結局、中村うさぎも”あっちの世界”に行ってしまったのか。なんだか一抹のさみしさと憐れみを感じてなりません。作家は世間から同情されたらおしまいですが、中村うさぎも病気をして弱気になり、無定見に世間にすり寄っているのでしょうか。『狂人失格』で指摘した、もの書きとしての「覚悟」のなさがここにきていっそう露わになった気がします。これじゃ名誉毀損した『狂人失格』のモデルの女性に対しても失礼というものでしょう。

>> 中村うさぎの覚悟
>> 『狂人失格』
2014.04.13 Sun l 本・文芸 l top ▲