昨年、2ちゃんねるで個人情報が流出した際、ライトノベルの某作家が2ちゃんねるのなかで同業者や出版社を誹謗中傷する書き込みをしていたことが判明し、批判を浴びて謝罪しましたが、彼もまたある意味でネットに人生を支配されていたと言えなくもありません。

ネットというのは狭いマイナーな世界です。いくら同業者を誹謗中傷しようとも、社会的な影響力なんてまるでなく、ただの自己満足にすぎません。ところがネットにのめり込み、人生を支配されるようになると、そういった客観的な視点を失って、ネットの評判に一喜一憂するようになるのです。でも、それってたかだか数十人の評判にすぎないのです。しかも多くは遊び半分の”釣り”かもしれないのです。

ネットにのめり込むとまわりが見えなくなり、それこそ頭隠して尻隠さずみたいな醜態を演じることにもなりかねません。2ちゃんねるにのめり込むあまり、自分の個人情報が売られて、書き込みが特定されるなんて夢にも思わなかったのでしょう。2ちゃんねるがログを売っているというのは、10年以上前から指摘されていました。如何にもネットに習熟しているように見えて、そういう知識に疎いのが彼らの特徴です。

もちろん、それは一般の人たちも例外ではありません。「ネットこそ真実」「ネットがすべて」の人間は別にめずらしくありません。作家やライターなど、メディアで仕事をしている人間ですらそうなのですから、メディアにもともと縁のない人間たちは、なおさらでしょう。ネトウヨなどが典型ですが、彼らは、検証するデータや知識をもってないので、初めて触れたネットの情報に感動して舞上がり「真実を知った」つもりになるのです。そして、ネットに人生を支配されるのです。

ネットの情報は玉石混淆だと言いますが、それを見分けるには、それこそ人一倍、メディアの情報に通じ専門的な知識がないと無理でしょう。「ネットがすべて」「ネットこそ真実」の人間たちの特徴は、自分たちにわからないもの、理解できないものは、「真実」ではないと否定するその反知性主義にありますが、もとより彼らは無知蒙昧であるがゆえに反知性主義にならざるをえないのです。

芸能界が魑魅魍魎と言っても、魑魅魍魎だと言っている人間たちが魑魅魍魎の場合だってあるのです。もしかしたら、魑魅魍魎と言っている人間たちが魑魅魍魎を利用しているのかもしれないのです。ライトノベルの作家の例にも見られるように、ときにネットがメディア内のトラブルや思惑に利用されることもあるのです。そして、情報操作が別の情報操作に使われる場合だってあるのです。ネットには歯止めがないので、それはいくらでも可能です。

ネット・リテラシーということばがありますが、そもそもなんでもありの世界にリテラシーなんて意味があるのかと思ったりもします。たしかにネットは便利なツールです。でも、それはあくまで「ツール」にすぎないのです。いつの間にか、その「ツール」が生活そのものになり、人生を支配され、生き方をも縛ってしまう。それは、どう考えても本末転倒です。Googleや梅田望夫氏(なつかしい!) が言うように、ネットは必ずしも人を幸せにするとは限らないのです。パソコンを閉じて街に出よう(寺山修司の「書を捨てて街に出よう」のもじりですが)ではないですが、ときに一歩下がったところから自分とネットとの関係を眺めることも必要ではないでしょうか。

関連記事:
ツイッター賛美論
2014.07.29 Tue l ネット l top ▲