とうとう笹井芳樹氏の自殺まで生んだSTAP騒動。ジャーナリストの大宅健一郎氏がウェブサイトBusiness Journalで、STAP騒動の異常性をあらためて批判していましたが、一連の報道のなかではめずらしい冷静な意見だと思いました。

Business Journal
NHK、STAP問題検証番組で小保方氏捏造説を“捏造”か 崩れた論拠で構成、法令違反も

大宅氏は、STAP騒動を「デマと妄想で膨れ上がった“狂気のバッシング”」と書いていましたが、たしかに一連の騒動は、「狂気」=「ほとんどビョーキ」と言って過言ではありません。またそれは、今の社会が抱える病理を表しているとも言えます。

大宅氏は、STAP「問題」とSTAP「騒動」は違うのだと言います。STAP「問題」は、STAP細胞を科学的に検証することですが、STAP「騒動」というのは、科学的な検証とは別の場所で、科学的な問題がゴシップとして扱われることです。STAP細胞に関するマスコミ報道の大半は、STAP「騒動」にすぎないのです。

大宅氏は、STAP「騒動」の異常性をつぎのように指摘していました。

 小保方氏の代理人である三木秀夫弁護士が「集団リンチ」と形容したが、「集団リンチ」に加わったのはマスコミだけでなく、本来、科学の自律性を守るべき立場の科学者やサイエンス・ライター、一般人までがその輪に加わり、バッシングを執拗に続けた。理研も小保方氏と笹井氏を守るには十分な対応もせず、小保方氏はNHKの暴力的取材で怪我を負い、その直後に笹井氏は自殺を遂げた。
 
 笹井氏の死後も、小保方氏に宛てた遺書に何が書かれていたか、というゴシップ報道が相変わらず続いている。警察が保管してあったはずの遺書がマスコミにリークされ、日を追ってその内容が少しずつ開示されているというこの異常な状態が、STAP騒動の狂気を物語っている。


「不正」ということばも、一般社会と科学の世界では多少意味合いが異なるのだそうです。一般社会では、「不正」は「自らの利益を優先した悪意ある行為」という意味ですが、科学の世界で使われる「不正」ということばには、「作法に間違いがあった、手続きにミスがあった、という意味でも使用される」のだそうです。

 科学論文の世界では「不正」すなわち「ミス」が見つかることは少なくなく、「不正」の指摘があれば「正し」、さらに検証を受ける、という“手続き”の連続である。それが科学における検証のあるべき姿だ。その結果、再現性がなければ消えていく。科学は、そのような仮説と検証のせめぎ合いで発展してきた。


STAP問題とは、本来、その科学的な立証をめぐる科学論争であったはずなのです(であるべきだったのです)。

世間には、NHKと同じように、小保方氏がSTAP細胞を捏造したと思い込んでいる人も多いようですが、科学の世界でSTAP細胞を捏造してもなんの意味もなく、そもそも捏造なんて動機にすらならないことくらい、少しでも考えればわかるはずです。捏造しても、再現性を科学的に立証しなければならないし、なによりSTAP細胞は生命科学や医療へ応用されなければ意味がないのですから、そんな子どもだましのようなことをしても仕方ないのです。

小保方氏の画像のコピペや加工は、たしかに「不正」で、ほめられたことではありません。研究者として基本的な姿勢に問題があることも事実でしょう。だから、小保方氏自身も批判を受け、「不正」を認めて反省しているのです。しかし、それはあくまで論文を作成する上での作法の「不正」であって、大宅氏が書いているように、STAP細胞の研究そのものを否定することにはならないはずです。仮に研究に疑惑が生じたとしても、再現できるかどうかを検証すればいいだけの話です。STAP問題は、現在、その検証の段階にあるはずです。また、検証の結果、STAP細胞が再現できなかったとしても、研究そのものが否定されるわけではないのです。それは、今後の研究に生かされるはずです。そうやって科学は進歩してきたのでしょう。

ところが、マスコミの手にかかると、その「不正」が絶対的な悪、犯罪まがいの所業みたいに看做され、研究そのものを否定する問答無用の論拠となるのでした。そして、同調圧力によって、本来「不正」の意味を理解しているはずの専門家までが反知性的なバッシングの列に加わり、さらにバッシングは科学論争とは真逆な方向の小保方氏の人格攻撃へとエスカレートしたのでした。

「問題」を「騒動」に貶めたのは、東スポや週刊文春や産経新聞だけでなく、NHKや朝日新聞なども同じです。むしろ、NHKや朝日新聞は、高尚ぶって(そのくせ低劣な根拠で)バッシングしている分、タチが悪いと言えます。

私は、残念ながら問題のNHK特集『調査報告 STAP細胞 不正の深層』(7月27日放送)は見てないのですが、小保方氏と笹井氏の私的なメールを公開して二人の「ただならぬ関係」を匂わしたり、共著者の若山照彦山梨大教授がのちに否定した(この若山教授も今回の問題ではずいぶん人騒がせな存在となっていますが)ES細胞混入説を小保方氏の窃盗というトンデモ話に仕立て上げるなど、その内容はまさに東スポや週刊文春や産経新聞と同レベルの「デマと妄想」のシロモノだったようです。

この「ほとんどビョーキ」の風潮は、STAP騒動だけでなく、たとえば、集団的自衛権行使容認や特定秘密保護法成立の背景になった「中国が日本に攻めてくる」妄想なども同様です。マスコミの報道といい、その構造はSTAP騒動と驚くほどよく似ているのです。それは、「在日が日本を支配する」というネトウヨの妄想と五十歩百歩です。誰もネトウヨのことは笑えないのです。

ゴミの問題が世間を騒がすと、ゴミのことが気になって気になって仕方なくなり、ゴミに対して異常に執着するおっさんやおばさんたちが出てくるのが常です。そんなおっさんやおばさんたちは、四六時中他人のゴミの捨て方に目を光らせ、そのためにみずからストレスをためて、「ほとんどビョーキ」のようになるのですが、あれと同じです。「ほとんどビョーキ」の人たちは、”煽られる人”たちなのです。そうやって全体主義の「空気」が作られていくのです。

追記:
上記の記事のなかで紹介されていましたが、小保方氏の周辺の人たちによって、今回の問題に対するウェブサイトが立ち上げられたようです。この問題を冷静に判断するために(”煽られる人”にならないためにも)貴重なサイトだと言えます。

STAP細胞問題を考える
http://stapjapan.org/
2014.08.16 Sat l 社会・メディア l top ▲